39歳で上場、二度の起業、三人の出産 起業家・経沢香保子は何者かになれたのか?:前編

39歳で上場、二度の起業、三人の出産 起業家・経沢香保子は何者かになれたのか?:前編

現在日本で最も使われているといわれるベビーシッター・家事代行サービスの「キッズライン」。その創業者であり、自身も三度の出産・育児を経験した経沢香保子さんにインタビュー。「30歳までに何者かになりたい」と仕事に打ち込んだ若手時代から、39歳で当時女性としては最年少で上場を果たし、二度目の起業をするまでの、ビジネスパーソンとしての経験をお伺いしました!

【経沢香保子プロフィール】
50歳/職業:起業家(株式会社キッズライン代表取締役社長)/家族構成:子ども二人(長男、次女)
X @KahokoTsunezawa
instagram @kahokotsunezawa

historyMBA取得のはずがほぼニートに…26歳で一度目の起業

――改めてキッズラインのサービスの内容について教えてください。

ベビーシッターさんを24時間スマホで探せるというサービスです。全国で3,000人以上のシッターさんが登録してくださっていて、自分の好きなシッターさんを地域や口コミ評価、価格で選べるようになっています。ベビーシッターさんはもちろん、家庭教師を探したいという方もいるし、家事代行を頼みたい方も。子育て中の方はもちろん、独身一人暮らしの方まで、様々な方が使ってくださっていますね。

こちらはキッズラインの公式サイト。「近所の人を探せたりキーワードで検索できて、自分にあった保育者が見つかるというところで喜んでいただいています。直接予約できるというのもポイント」

――経沢さんにとって、キッズラインは2社目に起業した会社ですよね。1社目の起業の経緯からお伺いしてもよろしいですか?

1社目は2000年、26歳のときに起業しました。もともと会社員で、起業しようとは思っていなかったんですけど、その時代では女性が働き続けるということがすごく大変で。自分に何か特別な武器がないと生きていけないんじゃないかと思ってたので、「30歳までに何者かになりたい」っていう考えがなんとなくあったんです。

それで、当時の会社の先輩たちで活躍してる人はMBAを持ってる人が多かったので、なんとなく私もMBAをとったら成功できるんじゃないかと思って、会社を辞めて留学する決意をするんですけど、結局うまくいかなくて。ニートみたいになっていたところ、まわりの社長さんから仕事を頼まれることが増えて、法人にしたほうが取引しやすいという理由で最初の会社を作ることになりました。

――その会社ではどんなことを?

当時自分に来る仕事って「女性のほしいものって何?」だとか、女性向けのものについて聞かれることが多くて。たしかに世の中を見渡してみると、95%の経営者が男性で女性の社長はほとんどいないのに、消費の中心は女性なんですよね。女性がほしいものを男性が作っているっていうのはおかしな構図だなって思ったので、女性の意見を届けるマーケティング会社を設立しました。

最初は、ネットで「一緒に働きませんか?」と求人を出して応募してくれたアルバイトの男性と新卒の女性と3人で、コンサルティングをやったり、女性のネットワークを作ってグループインタビューを受けたり、そんな感じで商品・サービスを作っていきました。

 

history育児をするために「上場」が必要だった!?

――その会社が後に上場もする「トレンダーズ」なんですね。3人だった会社が、どうやって飛躍していったんですか?

その頃はまだSNSもなかったので、「まぐまぐ」っていうメールマガジンのサービスを使って「あるベンチャーの起業日記」っていうのを3人で交替で書いて、毎朝6時に発信してたんですよ。そうしたらそれが少し話題になって取材が来るようになって。当時は26歳で女性で起業してる人がすごく少なったので珍しがられたんですよね。その頃の女性社長って、アパホテルの社長さんだったり、特許を持っていたり、天才型というイメージ。そんな中で私のようにキャリアアップの一環として起業する女性はほとんどいなかったんです。

メディアに出始めるといろんな人から「どうやって起業するの?」って聞かれるようになって、一人一人に教えていくのは大変なので、女性起業塾っていうものを日本で初めてやりました。そしたらそれが全国ニュースになって会社の知名度が一気にあがって。半年待ちの大人気塾になって、飛行機や新幹線で遠くから通ってくれる人もいました。起業したい女性がこんなにもいるんだって驚きましたね。

「同じ時期にアメブロが始まって、女性起業塾に通っている方たちにブログを毎日書いてもらい、キャラクターの立った女性社長さんがたくさん出てきた。そこからソーシャルメディアの流れが来たので、いわゆるトレンドリーダーの人たちのネットワークも広がり、ブログやSNSを使ったマーケティング手法が話題になり、トレンダーズの売上も一気に上がり上場につながりました」

――上場を目指したのはどのくらいの時期ですか?

31歳のときに最初の子どもが生まれたときです。その子どもが病気だったんですよね。それで、保育園に預けられないっていうことを知って、会社を辞めて育児に専念しなければいけないんじゃないかと思って。でも社員もいるので辞めるわけにもいかないし、いっそ会社を売却してしばらく休もうかと考えたんですけど、なかなか決断ができなかったんです。

そんなときに調べまくっていたらベビーシッターっていうものがあることを知って、保育園に預けられなくても、シッターさんが家に来てくれれば仕事をできるかもと思いました。と同時に、会社も自分が一人でやろうとしてるから、「育児と両立できない」っていう考えに陥っちゃうんじゃないかなと気付いたんです。会社も組織化してチームにして、家族もベビーシッターさんとシフトを組んでチームにして、自分がチームをプロデュースする立場になればいいと考えて、それならば上場を目指そうと。組織化するために、誰が見ても潰れない、優秀な人が集まる会社にするためには「上場する」っていうことが必要なんじゃないかなって、そのとき感覚的に思いました。

――上場する決意をしたときに周りはどんな反応でしたか?

女性が「上場したい」なんていうのは珍しかったみたいですね。周りの人に相談したら「上場って意味わかってるの?」「何味か知ってるの?」っていう反応。でも、友人でもあり同級生でもあるサイバーエージェントの藤田さんから「それいいじゃん、できるんじゃない?」と言われて出資してもらったのがきっかけで、そこからどんどん上場に向けて準備していきました。

 

turning point「全財産を投じても…」病気の娘の退院日に初めて知ったこと

――経沢さんにとって特に転機になった出来事はどんなことですか?

やっぱり最初の子どもが病気だっていうことが妊娠中にわかったときですね。妊娠5カ月目くらいで、先生にお腹の子が育ってないって言われて。当時の自分は、会社もまあまあうまくいってて、結婚もして第一子出産を控えてて、いわゆる幸せの絶頂時期だと思っていたんです。それがその日のうちに紹介状を書かれて慶応病院に搬送されて検査して、子どもが病気ですって言われて。もう全部わからなくなって、病院の廊下で「人生どうすればいいんだろう」とすごく考えました。

――想像もしなかったことですもんね。

まわりの人に産むのを反対されたし、先生からは死産になるかもとも言われて。でも自分ができることは、最後までその子と付き合うということだったので、どんな形でもできることをやろうと思いました。そのあとその子はなんとか生まれてきたんです。でも生まれたときは1500gぐらいで、ずっとNICU(新生児集中治療室)に入っていて管につながれた状態。私も仕事をしながら病院に通う生活をしていました。

NICUは一泊85,000円するし、1回400万円くらいの手術も2回くらいしてて、それでも私は全財産を投じてでも医療を受けさせたいと思っていました。でも退院するときに請求されたのがおむつ代だけだったんです。何もできない娘のために、何千万も税金で賄ってもらっていた。娘が退院する日に初めて知ったことでした。それが自分の転機というか、頑張って事業してたくさん納税したり、社会のためになることをしようと思ったきっかけです。

――なるほど…。

一度目の起業では上場というわかりやすいひとつの目標があって、それにみんながついてきてくれた。二度目の起業では社会のためになるような育児の新しい文化を作りたいっていう思いでやっていて、それに対して本当にたくさんの人が共感してくれてるなと思っています。

 

originシッター代だけで月100万円、キッズライン創業の原点

――経沢さんはそのあと二人目三人目とお子さんが生まれて。

二人目は、長女を生んだ次の年に長男が生まれて。三人目は35歳のときに娘が。二人目の子どもが生まれたときは、長女とは違う意味で本当に大変でしたね。長女のときは在宅でのケアが中心だったんですけど、長男が生まれてからは朝保育園に連れて行ったりとか、夜会食があるときはお迎えに行って母親にバトンタッチしたりとか。とにかく育児と仕事の両立っていうのは、自分にとってはベビーシッターさんがいなかったらできなかったと思います。

――その経験をもとにキッズラインを作られたということですね。

そうですね。当時のベビーシッターさんってすごく高くて、富裕層の人しか使わないっていうイメージだったんですよね。入会金10万円とか、使うかわからないけど月会費も払って、時給3,000円とか4,000円とかで。自分は経営の道をとったので生活は赤字でもいいと覚悟していたんですが、ベビーシッター代だけでも月100万円近く使ってるときもあって、これでは使い続けるのは大変だなと思いました。

それで、自分でネットの掲示板で探すようにしたらたくさんの応募があったんです。履歴書や経歴書を持ってきてもらって面接して、良かった人を家に来てもらい子供との相性をお試し保育していただいて、シフトに組んでいってというやり方にしたら、費用は抑えられるようになりました。でもここまでやるのは本当に大変だと思って、いつかトレンダーズで成功したら、次はベビーシッターさんを気軽に探せるようなプラットフォームを作りたいっていうのがキッズラインの原点にあります。

――キッズラインの事業はすぐ安定したんでしょうか?

全然で! 時給1,000円からシッターさん呼べるって、自分にとっては画期的なサービスだと思ったんですけど、なかなか最初は広まらなくてずっとずっと赤字でした。それこそオンラインサロンやったりテレビ出たりして得た収入を会社につぎ込んでました。それでもどんどんお金がなくなっていく日々でした。

でもある時に、「女性による女性のためのサービスだと社会に広まらないのではないか?」と仮説を立ててみたんです。シッター代を払うのは誰だろうと。それであるビジネスプランコンテストに応募して、男性経営者の皆さんに向けてプレゼンをしたら優勝して、申し込みが増えました。経営者の男性は悩んでいたんだと思います。優秀な女性が出産を機に当時は7割も辞めていくような時代でしたから。そして、家族の中でも奥さんに使ってもらうことで家庭が平和になったり子供が喜んだり、そんな流れで、決済者である男性が推してくださって、企業が女性社員の福利厚生として使うっていうムーブメントが始まってから、売上が徐々に上がっていきました。

 

仕事に私生活に波乱万丈とも言える経沢さんの人生。後編では、働く女性が気になるあれこれの疑問に答えていただきました。近日公開です!

☆後編はこちら

■キッズライン公式サイト
https://kidsline.me/

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