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turning point半年間、家を解約して夜行バスで地域をめぐる
――今は創業何年目でしょうか。
2018年7月創業なので、もうすぐで6年経ちます。
――そうなると、コロナ禍にもぶつかったわけですね。旅を主軸とした事業ですし、コロナの影響は大きかったのでは?
大きかったですね。ただ、悪い影響以外に良い影響もたくさんあって。行動制限が解除されてからは旅行先として海外から国内に目を向ける方が増えましたね。また一方で、技能実習生が来られなくなった農家さんや、コロナ期間に従業員を泣く泣くカットせざるを得なかった宿泊施設も多くて、急に人が必要になっておてつたびとのニーズが合ったので、そこは良い影響だったと思います。
――永岡さんはもともと起業を志していたのでしょうか?
私はあまり起業には興味がなかったタイプで、大学生の頃は小学校の先生になろうと思っていました。ただ教育実習に行ったときに、自分が子どもたちに伝えられることの幅の狭さを痛感して一度社会に出てみたいと思ったので、企業に就職することを選んだんですね。
――就職先はどんな会社でしたか?
プロモーション系の制作会社で、記者会見やカンファレンスイベントを企画提案営業しながら、当日のプランニングや運営まで一気通貫型でやる仕事をしていました。三年間勤めて先生になろうと考えていたので、裁量を持って働けるようなベンチャー企業を選んだという感じです。
そこで働くうちに民間企業で働く楽しさを知って、二社目の会社の社長に声をかけてもらい転職することに。まだ自分の人生を何に使いたいのかが見つけられていなかった時期で、社長に「うちで働きながら探したらいいんじゃない?」と言っていただき、一年後に独立したという流れです。
――ではこの二社目のときに、やりたいことがなんとなく見えてきたというような。
というより、二社目を辞めてから創業までに一年ほど準備期間があって、そのうちの半年間は東京の家を解約して夜行バスでいろんな地域をめぐっていたんです。結果的に今のおてつたびのようなことをしていまして。知り合いに紹介してもらっていろんな地域に行き、お手伝いを通じて地元の魅力や思いを教えてもらったりした体験が起業に繋がりました。
この準備期間の間はまだ起業するという気持ちが固まっていたわけではなく、他の会社に入ることや、地域おこし協力隊という総務省の制度を利用して、地域に根差した活動をするということも選択肢に入れていました。ただ半年間いろんな地域をめぐる中で、そもそも私の地元の尾鷲のような、知られていない地域の魅力を知るきっかけ自体が少ないんじゃないかということに気付き、その新しい仕掛けを作ることが尾鷲のような地域が次世代に残るために必要なことなのではないかと思ったんです。そういう事業をやっている会社を見つけられなかったので、ならば自分がやろうと思いました。