フリーランスMarketing&PR・大木菜帆 一般知名度0でもキャリアを築く方法

フリーランスMarketing&PR・大木菜帆 一般知名度0でもキャリアを築く方法

化粧品業界でキャリアを積み取締役まで昇進し、4月からはフリーランスとして独立した大木菜帆さん。「SNSは自分には向かない」…インフルエンサーにならずとも成功する方法とは? 昇進するために必要なこととは?

【大木菜帆プロフィール】
年齢:39歳/職業:フリーランスMarketing&PR/家族構成:夫
instagram @nahoohki(大木菜帆)

topics取締役のキャリアを捨ててフリーランスの道へ

――5年半勤めたカラーズ株式会社で、取締役としてキャリアを積んだ大木さん。いきなりですが、独立したきっかけは?

私今年で40歳になるんですね。40歳になるにあたって、自分にとっての成功や幸せっていうものを定義しようと思って、去年いろいろ考えてたんです。そこで私が決めた自分にとっての幸せは、大切な人と過ごす時間があって、行きたい場所に行く時間とお金がある状態。なので、そういう自由を手に入れられる仕事は何かって考えたときに、「これもう独立しかないな」って思ったのが一番の理由です。

――取締役というのはかなり大きなキャリアだと思いますが、未練はなかったんでしょうか?

二度と企業のマネジメントを極めるキャリアには戻れないなと思って、1年くらい悩みました。でも最後に決め手になったのは、友達からの一言。「独立失敗したら会社員に戻ればいいだけでしょ」って軽く言ってもらえて。仮にうまくいかなかったとしても、大した失敗じゃないんだなっていうふうに思えて、後押しになりました。

「20代ガムシャラに働いて、30代やっと結果が出てきて昇格もしていって。40代はこれを守るっていうことなのかなと考えてみたら、人生100年時代なのに40歳でその決断って早すぎるよねっていう思いもありました」

――独立というと今後は個人事業になるんでしょうか?

そうですね。今は化粧品、ファッション、食のマーケティングとPRとして、複数社と契約をさせていただいています。

――具体的にはどんなことがお仕事の範囲になってくるんですか?

市場の分析をして、トレンドを予測して、消費者を理解して、コンセプトの設計をして、コミュニケーションの開発をするというところまで手掛けています。例えば、海外化粧品ブランドの日本上陸をどうやっていこうか、今少し伸び悩んでいるようなブランドをどうやって動かしていこうか、みたいなところ。

――独立後のお仕事はどうやって獲得していったんですか?

私はインフルエンサーになるとかSNSで知名度をあげるっていう道を、インスタを始めて半年くらいでスパッと捨てたんです。捨てた上で、どうやって自分がキャリアを積み上げていくか、仕事で信頼を獲得していくかを考えたら、やっぱり目の前の仕事にフルコミットするしかないと思って。その結果30代で課長、部長、執行役員、取締役とスピード出世していって、同じ業界で仕事した方たちから、「真面目に仕事してるよね」「本気で向き合ってるよね」とありがたい言葉を頂戴しました。このような積み重ねで、結果として仕事を獲得できたと思ってます。

turning point知名度0でも仕事を獲得するには?

私にとってはSNSの普及がすごく転機でした。SNSのおかげで個人が好きなことを発信する機会が増え、結果として社会的影響力を持ったりプラスになってる方が多いと思うんですけど、私にとってはすごくマイナスだったんですね。

――そうなんですか!

そもそも30代前半まで吹出物にめちゃくちゃ悩んでいて、人の目を見て話すことができないくらい自分に自信がなかったんです。しかもこれと言って趣味もなくて、会社と家の往復しかしてなくて、週末も疲れて寝てて…SNSに発信できる内容もそもそも全くなくて。

「後輩と話していると『今年こそインフルエンサーになります!』とコミットする20代もいましたが、なれなかったとしても、ちゃんと実績を積み上げていけば自由に生きる方法はある。そういうことを少しずつ表現できたらなと思っています」

やっぱり周りを見て、影響力が欲しいと思ったり、PRという仕事柄インフルエンサーにならなくちゃと考えたこともあったんですけど、自分にあわないことを続けててもすごい苦しくって。

――そう気づいたのは何歳くらいのときですか?

20代後半には、自分のことを発信するのは向いてないなって思いました。ブランドのことや会社のことを発信するのは得意だけれど、自分に置き換えると全然できない。そもそもニーズなくない?とか。なので、その分の自分の労力や思考は全部本業に投資しました。

――それって具体的にどうするんですか?

今の時代には合わないんですけど、やっぱり20代は働きまくるっていうことでしたね。朝から深夜まで働く。当時は朝10時には仕事を始めて、22時くらいに会社を出て、帰って夕飯とお風呂済ませて、また夜中0時から2時まで仕事して、みたいな。今ならネタに思われるんですけど、「私は24時間365日いつでも連絡つながります」っていつも言ってたんですよ。

今振り返ってみると、もっと遊んでおけば今より人脈は増えたと思うし、もっと旅行に行ったりインプットをしたらクリエイティビティは養われたと思うし、このやり方がベストだとは全く思っていない。けれど当時の私は、「仕事で結果を出す=たくさん仕事をする」って単純に考えちゃってたので、とにかくやったっていう感じですね。

work style昇進のコツは“経営者視点を持つ”

――この働き方はいつ頃まで続けていたんでしょうか?

管理職でこの働き方をしていると部下がついていけなくなっちゃうので、やらなくはなったって感じですけど、スタンスとかマインドは今でもずっとそんな感じです(笑)。

――管理職になってからの働き方はどうでしたか?

最初は自分と同じように働いてくれる人材を作ろうとしたんですけど、それで失敗したんです。ついていけなくて人が辞めてしまったり、雰囲気が悪くなってしまった。仕事の価値観やコミットの仕方は人によってさまざまだから、その人なりにしっかり仕事に取り組んでくれていればそれがベストだって考えるようにして、なるべく自分も会社から早く帰るように気を付けてましたね。そのほうが、みんなも管理職になりたいって思うだろうなって。

――大木さんが仕事を頑張れるモチベーションはどこから来るものなんでしょう。

挫折ばっかりだったんですよ、学生時代。受験して中学入ってみたら、みんな頭が良くて成績は下から数えたほうが早かったり。で、勉強では無理だと思って高校のときからデザイン系の学校に行ったら、今度は絵がうまい人もたくさんいて、また挫折して。自分って何をやってもあまりうまくいかないなって思うなかで、初めてなんとなく「結構できるのかも」って思えたのが仕事だったんです。やっと自分に自信を持てるというか、ちょっと得意なのかもって思えることができたみたいな嬉しさもありましたね。

大学中退後大好きなアパレルの仕事に就くも、人間関係に悩みすぐに退職。その次になんとか入った広告代理店時代でたくさん働くという下地が作られたそう。以降、化粧品会社を3社経験し現在へ。

それと、ある時からスタンスが変わりましたね。結構給料が安かったんですよ。家賃払うのに精一杯で、洋服も化粧品も買えないような感じだったんです。でも好きな業界で働きたいっていう気持ちはすごくあって。転職情報を見ても同じ業界だったらお給料ってそんなに変わらないし、これをやりたいんだったらここでお給料が稼げるようにならなきゃいけないって覚悟が決まったというのも大きいです。

――でも、稼ごう!と思って稼げるようになるものなんでしょうか?

私も稼ぎ方がわからなくて。稼ぐってたぶん昇格することしかないんだろうなって思ったので、たくさん働いて認めてもらおうっていう感じでした。

――どのくらいからお給料は上がり始めましたか?

管理職になってからですね。課長になったときにまず上がって、それで転職をしてそこからさらに上がっていったっていう感じです。

――最初の昇格はいっぱい働いて認められた結果だと思うんですけど、それより上の役職にステップアップするために何か行動を変えたことはありますか?

行動というよりはマインドを変えました。よく言われる話なんですけど、何かが起こったときに、自分がどうこうっていうことよりも会社やブランドのことを優先して考えるみたいなことは、すごく気を付けていましたね。常に経営者視点みたいなものを意識していて。

――たしかに経営者視点ってよく聞く言葉ですね。

例えば会社の中ですごく成果を上げた人がいて、それに対して嫉妬するのは経営者視点じゃないんですよ。ブランドと会社にすごく貢献をしているわけで、どうしたら私ももっと貢献ができるのか考えるべき。代表だったら、この間テレビで見た経営者だったらどう考えるんだろうという軸で全部考えるようにしてましたね。

そうやってマインドがちょっとずつ変わっていったら、上司からのコミュニケーションも変わってきて、ただ仕事をお願いされるだけじゃなくて早い段階で相談されたり、その相談を聞いて勉強したらそれがまた役に立ったり、そういう積み重ねで昇格していったような感じがしますね。

会社の人とはほとんど飲みにいかないという大木さん。なぜ?「そういう場になったら、誰かの陰口や愚痴になりがち。でも言われている人には思うところがあっての言動かもしれないし、そういう感度が鈍るなと思って」

――お仕事をする上でのこだわりやルールはありますか?

普通の話ですけど、妥協しないっていうことはすごく大事にしてますね。後悔したくないんですよ。特にこういうプロモーションみたいな仕事は、世の中に出ていったときの反響ってすごく感じやすい仕事なので、ちょっと妥協したりしたことで結果が全然出ないということもあるんですよね。それと、なんでも楽しもうということは気を付けてますね。

――大木さんにとって楽しいと感じるのはどんなときですか?

新しいことを知ることができたときとか、チャレンジしてるときは楽しいですね。人と話してて新しい観点に気付けたときとか。取締役っていう立場から独立することに決めて、どうなるかわからない不安な状態だったんですけど、それも楽しいなって思っています。自分が想像できる範囲で生活していくよりも、不安な要素や見えないことがあるほうが楽しいなって思いますね。そう思うようにしてるのかもしれないけど(笑)。

life style大切なことは少ないからこそ見極める

――独立して、今後はどんな働き方をしたいですか?

大事な人や飼ってる犬と過ごす時間を長く持ちたいという気持ちもあるので、バランスはすごく意識して考えています。年齢的にもどうやって仕事をすれば最短で最大の効果が出るかを少しずつ考えられるようになってきたので、今仕事を依頼してくださってるクライアントの成功が一番なんですけど、自分の時間もとっていきたいなって思いますね。

――細かいことですけど、何時間寝たいとか何日くらい休みたいとか具体的な理想はあるんでしょうか?

全然ないですね。不規則でも大丈夫です。たぶんそれは心の根底に、「24時間365日連絡つながります」っていうマインドがあるのであんまり気にならない。

――生活に決まったルーティンもあまりない?

ないですね。でも寝る前に必ず、明日何時に起きて何時からコレやってっていうタスクを全部作るようにしてます。取締役になってからはいつ出社してもいいし勤怠の管理もないから、すべては自分でコントロール。さぼろうと思えばさぼれるし、頑張ろうと思えば頑張れる。なので何時に起きます、洗顔します、筋トレします、朝ごはん食べますとか、ちっちゃいことを全部書き出してっていうのは毎日変わらずやってました。

――今幸せを感じる瞬間はどんなときですか?

大事な人と一緒にいる時間はすごい幸せですね。例えば会社員時代ってお正月くらいしか実家に帰ってなかったんですけど、先週末も帰ることができたし、もっと親と時間を過ごせそうなのも幸せだなと思います。犬の散歩も会社員の頃は朝も早いし夜も遅く暗いときに行ってたのが、今はあったかい時間にできて幸せだなって思うし。

大木さんの愛犬はチワワ2匹。2011年に保護犬を引き取り、ずっと一緒に暮らしています。

――今後の目標はありますか?

独立して間もないので、実績もない私に依頼してくれたクライアントには本当に感謝していて、まずはそれぞれのクライアントが描くゴールに到達できるように一生懸命取り組んでいくっていうことが今一番大事なことかなって思ってます。

私自身のことでいうと、冒頭で話した成功と幸せの定義みたいなところを、5年後の45歳までに叶えられたらいいなと思ってはいるんですけど、変化が激しい時代なので、一回決めたものに固執しすぎないで、変化も楽しめるような自分であり続けたいなとは思ってますね。

――では最後に、日々大切にしている考え方を教えてください。

「大切なことは少ない」っていうことを忘れないようにしてます。自分の人生においても仕事においても、常に大事なことが優先順位の上位を占めるように気を付けてはいますね。そうしないと、身近にいる大事な人の言葉よりも噂話や悪口を信じて傷ついちゃったりとか、クライアントの仕事よりもセルフブランディングに時間かけすぎて大事な仕事を失ったりとか起こると思うんです。私にとって大切なことは、最初の成功と幸せの定義を叶えるために必要なものだと思うので、それ以上のものは持たなくてもいいかな、なかったとしてもいいかなと。

――大切かそうじゃないかを見極めるポイントは?

自分と向き合うことが大事かなと思ってます。楽しいなとか幸せだなって思う瞬間には必ずその理由があって。たとえば人とご飯を食べていて美味しいっていう瞬間に幸せを感じるとして、その人とご飯に行くことが幸せなのか、ただ美味しいものを食べることが幸せなのかも違いますよね。自分の感情がポジティブに動く瞬間っていうのを分解するようにすると、大切なものが何かすごく明確になる気がします。

 

仕事では動じない大木さんですが、恋愛では「そうはいかない」。今は旦那さんと週に1回美味しいものを食べに行ったりして、ゆっくり話す時間を作れているそうです♪

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