双子で経営者・帆立姉妹 全財産30円、男性社会、コロナ禍…ともに歩んだ水産人生

双子で経営者・帆立姉妹 全財産30円、男性社会、コロナ禍…ともに歩んだ水産人生

YouTube愛沢えみりサブチャンネルの「ここすと青森に社会科見学してきました」という動画をご存じですか? 動画の中でも衝撃的なエピソードをお話してくれた“帆立姉妹”こと、株式会社山神の役員・穐元美幸(あきもと みゆき)さん&八桁恵美(やけた めぐみ)さん姉妹にインタビュー。一次産業の課題から子育てエピソードまでたっぷりお伺いしました!

【帆立姉妹プロフィール】
穐元美幸(写真右)
姉/年齢:52歳/職業:株式会社山神専務取締役本部長/家族構成:子ども1人
八桁恵美(写真左)
妹/年齢:52歳/職業:株式会社山神常務取締役/家族構成:既婚、子ども4人

topics業界歴30年、四人兄弟で会社経営

――お二人が役員をつとめている株式会社山神というのはどんな会社なんでしょう?

穐元美幸(以下、美幸) ざっくり言うと、青森で帆立の養殖と加工をしている会社です。県内でも養殖をしながら加工をしているところってなくて、だいたい養殖は養殖、漁師さんは漁師さん、加工は加工っていうふうに分かれているんですが、漁師だった先代が、なかなか自分の思い描いた商品がお客様に送り届けられていないことを知って、それなら自分で商品まで作っちゃえということで。
八桁恵美(以下、恵美) 1993年に立ち上げました。

もともと両親は帆立漁を営む漁師。「夏休みどこにも連れて行ってもらえず、帆立を一時保管する水槽で泳いでいると、帆立が浮かび上がってきて足をかじるんですよ」とお二人。

――今年でちょうど30周年なんですね。ということは会社自体はお二人が大人になってからできたんですか?

美幸 そうですね。小さい頃は父も母もずっと帆立漁をしていました。私たちは双子ですが、兄弟はあと二人いて、それぞれ独立して違う道を歩むのかと思ってたら、今全員この会社にいます。家族経営なんです。

――四人兄弟それぞれどんな仕事を担当してるんですか?

美幸 8歳下の弟が社長で、漁全般を見ています。私が工場の製造や商品の販売を担当していて、彼女(恵美さん)がお金ですね。
恵美 経理を担当していて。
美幸 その下の妹が、彼女の補佐をしてるっていう

――それってどういうふうに決まったんですか?

美幸 自然にこうなったって感じです。親にこれをやれと言われたということもなく。たぶん私が経理をやってたら潰れてたと思う。妹はお金一円までぴっちりなの。私はどんぶり勘定、もう適当で。現場をまとめるほうが得意。
恵美 誰も何も言わないけどそんな感じで担当がわかれました。

――下品な話ですが、担当する業務でお給料の格差とかあるんですか?

恵美 あります、あります。でも自分たちで決めて、金銭面ではお互い納得してる。
美幸 でもよく言われるよね、「家族経営で喧嘩ないんですか?」って。
恵美 会議だったりでの喧嘩はありますよ。お互い真剣に考えているからこそ、本音をぶつけちゃうんですね。他人だと言い方を考えたりして伝えるけど、家族だからドストレート。

 

work style「女に何ができるんだ」という時代もあった

――お二人はこの帆立工場以外のお仕事はしたことあるんですか?

恵美 私はないんです。東京の学校でシステムエンジニアになりたくて就活してたところを、親に会社立ち上げるから帰ってきて手伝えって言われて。そのとき、嫌だったのすごく。自分がやりたいことが目の前にあるのに、手伝わなきゃいけないっていうことが。だから当時はやらされてる感全開。

美幸 私は、東京で美容師をやっていました。子どもの頃、父の仕事だけでは食べていけなかったんだと思うんですけど、母が朝早く父の漁を手伝ってから、家に帰ってきてお客さんの髪切ったりパーマかけたりしてたんです。
恵美 家の一角で美容院やってたんですね。
美幸 だから大きくなったら私も美容師になって母を助けたいなと思ってたんですよね。それで美容師の資格をとって働いていたんですけど、当時のシャンプーとかパーマ液が体に合わなかったのか、体中に湿疹が出てしまって。それで治療のために実家に戻ったら、ちょうどそれが会社を立ち上げた時期で。そのままアルバイトから始まって、今に至ります。

――30年にもわたってやり続けることができたのは、どこかで気持ちの変化があったのでしょうか?

恵美 社員だったり仲間が増えると気持ちも変わってきますよね。いろんな人が携わっているのがわかってきて、責任も芽生えてくる。
美幸 それもあるけど、辞められなかったんだよね。借金から始めた会社だったので。売上を作らなきゃいけないけど、経営側の私たちは業界用語も知らないくらいだったし、お金はどんどん減って電気代も払えないくらい。

――会社が安定するまではどのくらいかかりました?

恵美 認知してもらうまで6年はかかりましたね。
美幸 最初はお金がなくて、会社に行くのも嫌だったっていうか、会社を見るのもいやだった。
恵美 この時期を経験して、自分でもわかるぐらい人格が変わりました。お正月に家族みんなで全財産出し合ったら、三十何円とかしかないの。預金通帳も何も入ってなくて。借金だらけだった本当に。
美幸 自分たちも、給料6年間もらってなかったしね。あの時期があるから、次何か大きな困難が出てきたとしても、絶対乗り越えられる自信がある。

人間関係もそうで、水産業界ってどうしても男社会なんですよ。帆立を仕入れるために“入札”っていうものがあるんですけど、いまだに女性一人もいないんです。
恵美 女なのにとか、女に何ができるんだっていう時代もありましたし。

――そういう男性社会に、どうやって立ち向かっていったんですか?

恵美 強く見せる術を学んだっていうか。得意先の部長だったりと電話をしてて、どんどんきついことを言われるから悔しくて悔しくて泣いちゃうんだけど、それをばれないように返答する術を覚えました。

――美幸さんは?

美幸 私の場合は、女性がいないのも当たり前だったから、利用しちゃおうと思って。お父さんとかお兄さんみたいな感覚で接してました。そうすると向こうも娘とか妹みたいな感じで接してくれるんですよ。
恵美 逆に利用しようと。それぞれやり方違うよね。

 

turning pointせっかく仕入れたものを8割捨てるという矛盾

――今会社のスタッフさんはどんな方が多いんですか?

恵美 地元の人ばかりで、平均年齢は50代…。
美幸 水産っていうのが、若い子からすごく人気がない。農業もそうだと思うんですけど、一次産業は外に出て力仕事もしなきゃいけないし、汚い仕事もしなきゃいけないし、天候なんて関係なしじゃないですか。そのことに対しての評価やお給料が見合わないっていうふうに思ってるから、若い人が育ちにくい。帆立については、今世界に向けて発信していて、すごく評価もされてるので、そういうことを漁師さんにフィードバックしていくのが私たちの役目なのかなってこの3、4年思ってるんですよね。
恵美 コロナ禍で工場にバイヤーさんが来れなくなって、考える時間ができて。そこがひとつチャンスになったかもしれない。

――コロナ禍でどんなことを考えたんですか? 何か行動に移したものはありますか?

美幸 帆立って仕入れをして商品になる部分は2割なんですよ。貝殻だったり帆立の貝だったり8割ゴミなんですね。それらを使って、もう一度新たなものを作ろうと考えて、「CYAN(シアン)」っていうブランドを始めました。帆立の貝殻を使ったネイルを商品化して販売しています。捨てるものを再利用して、しかも楽しくてワクワクするものが作れて、地球環境に優しい。トルエンとか有害物質を含まない水性ネイルなんですよ。
恵美 帆立のゴミは産廃なので、お金かけて捨てなきゃいけないんですよ。お金かけて買ってお金かけて捨ててるっていうところに矛盾を感じてて。それを行動に移そうと思ったのがこの時期でした。

この2年ほどヨーロッパでの帆立の販売を進めており、現地でも喜ばれているそう。「行って初めてわかったのが、日本産ということで品質が良いと信頼してくれる」(美幸さん)

――お仕事のこだわりを教えてください。

美幸 私は、実直であること、素直であることかな。商品作りっていうのは、妥協して「このくらいでいいよね」って思って作った商品は、絶対にお客様が継続しない。見破られてしまうんです。例えば帆立ってちょっと水を含ませると重さがかかるから単価を上げられるんだけど、そうするとうまみが抜けちゃう。そういう商品って自分で買いたい、自分の子どもや仲間にあげたいとは思わないじゃないですか。そういう思いをきちんと貫いてやってきた結果が今につながってると思っています。
恵美 私は大切にしていることは、人とのつながり。仕事をしていく上で、ひとりじゃ何もできないんですよ。自分の思いだけが先行してスタッフに指示しても、まったくいいものができないし、共感も得られないから自分ひとりが頑張ってる感じ。それだと全然回らないんですよね。だからコミュニケーションを大切にしてるというか、あるときから変わったの。
美幸 え、いつ変わったの?
恵美 子育てで変わったかも。子どもって思い通りにならないので。子どもの成長が私にとっては大きな出来事だったかもしれない。

 

life style育児をしながらの仕事はごり押し。じゃないと育てられない

――お二人が結婚、出産したタイミングは?

恵美 私が32歳で結婚して33歳で一人目を産んで。そこから4人。
美幸 私は子どもを産むつもり1ミリもなかったの。会社が大事で。仕事に支障がでるかもしれないと思って、マインドの中に子ども産んじゃいけないっていうのがあった。

でも妹が結婚して子どもが生まれたら、すっごいかわいかったんですよ。姪っ子がいれば自分が子育てした気になるからそれでいいなと思ってたんですけど、あるとき妹から、「姪っ子かわいいでしょ? でも自分の子どもは次元が違うから」って言われて。作ろうとして作れるものじゃないけど、頑張ってみたらって言われて、それで産んだのが37歳。
恵美 私も自分が子どもを産んで育てて、仕事もできるなんて思ってなかった。

――結婚したときはお二人とも、「仕事続けられないかも」という思いはあった?

恵美 私の一人目のときは、妊娠が先だったの。それで結婚したけど、産む何日か前まで仕事して、産んですぐも仕事のことだけしかなくって。でも子どもが可愛くって、だんだん変わってきました。
美幸 子どもには教えてもらうことのほうが多いですね。私の中で大きかったのは、娘が登校拒否になったこと。社会に出れなくて落ちこぼれるんじゃないかって不安で、娘の手を引っ張って学校に連れていったの。そしたらそれでアウト、そこから完全に行かなくなったんです。娘のためだと思ってやったことが違ってたんだろうなっていうことに気付きましたね。

――子どもがいることで仕事がやりにくくなったり、悪い影響が出たりということはなかったですか?

恵美 もちろんある。子どもっていつ何が起きるかわからないから、お客様やスタッフにどれだけ迷惑かけただろうなって思います。

――男性社会だと特に、理解を得るのが難しかったのでは。

恵美 もうごり押し。
美幸 無視! じゃないと育てていけないから。でも私たちは恵まれてるよ、経営者だから。もし組織の中で上司の人の理解がなかったら、もっと大変だったと思う。

「昔から、背中合わせでいると気持ちが落ち着いた」というお二人。

――最後に、大切にしている考え方を教えてください。

美幸 「自分と同じように隣にいる人も大切にしたい」っていうのは常に意識してます。

――これは昔から意識していることですか?

美幸 いえ、コロナ禍のあたりから。それまでは、私はこうだからっていう主張が激しかった。でもそういうのってトラブルが起きたときにおさまるのも時間がかかるし、何かモヤモヤが残ったりするんですよね。人のことを大切にできるようになると、相手のこともよく理解できるようになって、自分もラクになった。これは子育てからも学んだかな。

――恵美さんは。

恵美 私はずっと昔からなんですけど、「努力は裏切らない」。努力すると、結果がついてくるから。面白いことがあって。私学生の頃勉強が大嫌いで、でもステレオ(レコードをかけるもの)がどうしても欲しくて、親にねだったんですよ。そしたら「学年で30位以内に入ったら買ってあげる」って言われて。そのときの自分の成績から考えたら絶対無理だったんですけど、でも欲しくてしょうがなくて毎日夜中まで勉強したら、まぐれで30位以内に入って、買ってもらうことができたんですね。努力って結果がついてくるんだっていうことにそこで初めて気付いたんです。そのことを子どもたちにも伝えてるんですけど、実際に経験してないから全然心に響いてないみたい(笑)。でも寝てても何も変わらないから。
美幸 行動を起こさないとね。
恵美 そう、行動を起こして、やってみないとね。

 

ルミリーではこれまで紹介してこなかった一次産業に携わる女性のお話、いかがでしたか? 歴史がある業界だからこその苦労や、それに立ち向かってきた姿に勇気をもらえた人も多いのではないでしょうか。ちなみに、株式会社山神さんの帆立を食べさせていただきましたが、とっても肉厚で味が濃厚。美味しかったです!

■インタビューに登場した会社・ブランドについてはこちら

株式会社山神
https://hotate-yamajin.co.jp/

CYAN(シアン)
https://cyan-shell.shop/
https://instagram.com/cyan.nail

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