49歳、美容家、シングルマザー。水谷里奈が今輝くためにしていること

49歳、美容家、シングルマザー。水谷里奈が今輝くためにしていること

40代後半で念願の美容の道へ。まったく別の業界を経て現在はサロンオーナー、起業コンサルとして活躍する水谷里奈さんにインタビュー。大学生の娘もいるという水谷さんの、人生哲学から美容の秘訣まで幅広くお伺いしました!

【水谷里奈プロフィール】
年齢:49歳/職業:美容家/家族構成:娘
instagram @mizutani_rina

topics15歳で自立、学校卒業後にバブルがはじける

――今のお仕事について教えてください。

名古屋と東京で美容サロンを2店舗やっていたのですが、コロナの影響があって今は再生医療商材の代理店をしています。それと起業したいという女性に向けたコンサルも。

独立したのは3年ほど前で、それまでは元主人と運送業の会社をやっていました。

運送業の会社では、従業員や配車の管理などの業務で役員を担当。「携帯を常に2、3個持ち歩いて、電話がかかってくると転送されるのでとにかくいつも忙しい。離婚したのは10年前ですが、ようやく引き継いでくれる人が見つかったのが3年前のタイミングでした」

もともとは3歳のときに両親が離婚しまして、後妻さんとうまくいかなくて、私15歳で家を出てるんですね。そこからは自分で生活費を稼いで、サバイバルみたいな生活をしてました(笑)。高級クラブで働いたり、イベントコンパニオンの仕事をしたり、当時はバブルで週末は女のコがどれだけいても足りないみたいな時代だったので、仕事には困らなかったですね。

――そこからどのように美容の道に?

高校を出てから名古屋モード学園っていう美容の専門学校に入ったんです。でもバブルがはじけて仕事がなくて結局フリーターに。それで27歳で元主人に出会いデキ婚、28歳で出産、38歳で離婚。今は元主人との会社も辞めてようやく美容業界に戻れたっていう感じです。

――じゃあ今ようやく自分のやりたいことをやれているんですね。

そうなんですよ。当時は気付かなかったんですけど、結婚してた頃の自分の写真を見ると、不平不満しかない顔をしてるんです。運送に関しては私は興味がなかったので、我慢してたんですよね。なので好きなことを形にするとか仕事にするっていうことは大事なんだと思います。

私40歳で子宮頸がんになって、子宮全摘出したんです。手術をする前に、「死んでも文句言いません」っていう書類にサインするんですね。そのときは離婚していて一人だったし、心配かけると思って子どもにも言わなかったんですけど、そのサインをするときに、人っていつ死ぬかわからないんだなって実感しました。入院生活でも今日いた人が次の日亡くなってたりとか、抗がん剤治療で一晩中苦しんでいる人を見たりする。病気の経験をして、我慢は絶対にダメだし、ある程度の年齢になったら好きなことをして生きていこうと思いました。

子宮頸がんを経験してからは自分の体を大事にしようと、生活習慣を改善。「コロナ禍で会食がなくなり毎日ジムに行き始め、3年連続でベストボディに出場したりもしていました」

turning pointとにかく生きるのに必死だった20代、結婚したものの…

――水谷さんのこれまでの働き方についてお伺いしたいと思います。20代の頃はどんなふうに働いていましたか?

20代はとにかく生きるのに必死。私の地元の名古屋って親子の縁がすごく深い地域で、親がなんでも子どもの面倒を見るみたいな文化があるんですけど、私は自立が早かったのですべて自分でやらなきゃいけない。当然貯金なんて一切できないですし毎月ギリギリ。疲れたなって思う頃の27歳で元主人と出会ったので、ちょうど結婚する時期だったのかなと思いますね。

――結婚したあとお仕事は?

子どもが生まれて8ヶ月で保育園に預けてパートに行ってました。今でこそフリーランスという働き方はありますけど、当時は一般的ではなくて、パートに出たくでも小さい子がいると50件くらい平気で断られるみたいな時代でしたね。

――その後元旦那さんが起業したのは?

32、3歳くらいのときです。最初は会社も小さかったですし、パートのような形でお手伝いに入って、どんどん従業員が増えて役員になって。ただ一緒に仕事をすることで喧嘩が増えましたね。

――でも離婚したあと7年ほど一緒に仕事されてますよね。離婚してからは仕事はうまくいくようになったんですか?

帰る場所が違うので離れる時間があるし、家族でも恋愛対象でもないので、どうでもいいと思うようになりました。会社でも家でもずっと一緒にいると、会社のことや子どものこと、いろんなことで喧嘩が起きるんですよね。イライラが収まる時間がないので。

 

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