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work styleステイホームだからこそ未経験者のライフスタイルにフィット
――ただ、実際コロナ禍でそれまで準備していた事業を再開するのは難しかったと思います。
そうですね。海外でヨガを学ぶのはもちろん、国内で対面で学ぶことも難しかった時期だったので、日本初のオンライン特化型スクールという形式で始めることにしました。最初は「オンラインでインストラクター資格が取れるなんてできるわけがない」と言われることもありました。会社自体、資本金1万円でホームページもない状態だったので、社会的な信用もありませんでした。
そこで最初は自分でLPを作って顔出しをして、説明会で熱意を伝えて信用してもらうことからスタートしました。講座を開催すると今度は一期生の方たちが一緒に盛り上げてくれて、口コミを投稿してくれたりインタビューに答えてくれたりして、周りの人にも徐々に信頼してもらえたのだと思います。そこで出始めた利益から資本金も500万円に上げて事務所も借りて、ホームページも作って、会社としても信頼されるように整えていきました。

「それまでは資本金の金額は経営に関係ないと思っていましたが、社会的信用が大事だということを痛感しました。ですので、できる部分は改善していきましたね」
――かなり勇気が必要な選択だったと思います。当時の心境を振り返って、いかがですか?
オンラインで資格の講座をやることは私自身すごく不安でした。でも家族を支えなきゃという思いが強かったです。家族だけではなく、日本中がだんだん元気がなくなっていく姿を見ていたので、なんとかみんなを元気づけたい、支えてくれた人たちに恩返ししたいと思いました。ようやく覚悟が決まったというか、「自分がやるんだ」という意志が固まった瞬間でしたね。
また、コロナ禍で初めて仲間探しをしました。インストラクター100人くらいに連絡してオンラインスクールの構想を伝えて「一緒にやろう」と声掛けをしました。ほぼほぼ全滅でしたが、一人だけ「真理さんが言うならやりましょう」とついてきてくれる子がいて。そこでより一層覚悟が決まりましたね。自分一人のためだったら、やれなかったと思います。
――その後、事業はどのように軌道に乗っていきましたか?
当時はステイホームの時期だったので、オンラインで何かを学びたいという要望と、自宅でも心身ともに健康をキープしたいという、顧客の需要を的確に捉えたサービス設計が結果として出来たので、ローンチ1年目で億単位の売上が上がり、外から見たらすぐに軌道に乗ったように見えたと思うんですね。
でも、これもたまたまではなく、生徒様の声に耳を傾け徹底的にサービスの改善を繰り返し続けたからだと思います。そして、オンラインスクールで出た収益を元に、アフターコロナに向けて、沖縄や京都、バリ島やハワイ、韓国と、世界中で合宿形式でヨガやピラティスを学べるプランを次々と企画して立ち上げて、これらのプランも人気プランになりどんどん売上が伸びていきました。事業の立ち上げから1、2年の頃は本当に寝る間もないほど忙しかったのですが、誰かのために動くことで社会における自分の存在価値を感じられるようになりました。