目的地は好奇心のその先に 芹澤みづきの経営者マインド

目的地は好奇心のその先に 芹澤みづきの経営者マインド

音楽制作会社の代表を務める芹澤みづきさんにインタビュー! 現在経営者とタレントの二刀流で活躍する芹澤さんのパワーの源とは? モデル、会社員、バックパッカーなど様々な価値観を経験した芹澤さんならではの経営者マインドにせまります。

【芹澤みづきプロフィール】
38歳/職業:経営者(株式会社コトブキミュージックラボ 代表取締役社長)兼タレント/家族構成:独身
instagram @serizawa_mizuki(芹澤みづき)

topics経営者兼タレントの二刀流!

――起業の経緯を教えてください。

もともと学生の頃から音楽を作っていて、作詞や作曲をしてコンペティションに応募したりしていたんですね。それでお金をいただける機会がだんだん出てきて、それと共に才能あるミュージシャンとの交流も増えてきたときに、才能はあるんだけどうまく営業ができなかったり、自分の才能をどう露出していいかわからないまま埋もれていく人がたくさんいることに気づいたんです。そんな人ほど短い期間で良いものが作れたりするから才能を安く買い叩かれるっていう状況が多発していて。これはもったいないなと。

それで、自分も含めてこんなにたくさん良い人材がいるんだったら、いっそ株式会社にしちゃえって思ったのが最初のきっかけです。でもめちゃめちゃ勢い。2016年の12月に会社にするって決めて翌年の5月1日には発足させたので、すごいスピードでやりました。

インタビューに答える株式会社コトブキミュージックラボ 代表取締役社長・芹澤みづきさん

営業して取ってきた仕事は適性を考えて各ミュージシャンに振り分けているそう。「一人で作る場合もあれば数人のチームで制作にあたってもらう場合もあります」

――芹澤さんのお仕事は音楽制作や会社経営にタレントと複数あると思うんですけど、どれが何割くらいの比重なんでしょうか?

会社を自分で作ったことに対する覚悟もありますし、プライベートも含めて8割以上は経営のことを考えているなという感じです。音楽制作は他の人が苦手な案件をやったりしていますね。タレント業については所属事務所にも理解してもらって、会社の仕事とバッティングしないように相談しながらやっています。

――主軸は経営なんですね。

そうですね。(タレントとしての)所属事務所のサンミュージックさんもすごく協力的で、だんだん音楽のほうでも協業のような動き方もさせてもらえるようになってきました。レーベルを紹介したり、若い方たちの育成にも関わらせていただけるように。表も裏も経験しているからこそ、今頑張ってる若い方たちを支えられるようになれたらいいなと思ってます。

turning pointまさかの婚約破棄。「自分で生きる」と決意の起業!

――タレント業はいつからやってるんですか?

19歳の時にスカウトされてタレントやモデルをしていたんですけど、大学卒業とともに出版社に就職したんですね。でも会社員があまり性に合わなくて1年くらいで辞めて、バックパッカーになって数年海外に行きました。

――え!? 勢いがすごい。

良い会社だったんですけど、自分が思った「これがいい」っていうものが、上司の意見で通らないのが許せなくて。当たり前ですよね、新入社員だし。でも若かったので自分の直感とかセンスみたいなものに根拠のない自信があったから、「辞めてやる!」って言って(笑)。無知でしたね。

――バックパッカーはどんなところに?

アジアとかオセアニアあたりまで行ったんですけど、そこで出会った人たちにすごく心を救われて。それまで自分のことを悲劇のヒロインみたいに悲観的に思うことも多かったんですけど、それとは真逆のベクトルで生きてる人たちの価値観に触れて、「自分はなんて甘っちょろいんだ!」って心底思った経験でした。
それで帰ってきて、知り合いに声をかけられて1社目の起業。これは共同起業みたいな感じで、3、4年関わっていました。

――そこを退社して、現在の会社の設立につながるんですね。

そうですね、それと今の会社を作ったきっかけの一つに、婚約破棄があるんですよ。いろんな事情はありますが、その当時の彼は音楽の仕事について残念ながらあまり理解を示してくれなかった。それが悔しかったんです。それもあってきちんと株式会社にして代表として見られたいって思ったんですよね。

――そんなことが…。

良い収入の方と良い結婚がしたいって思っていた時期もあったんです。自分がこんなにバリバリ働くようになるなんて想像もしてなかったので、誰かに幸せにしてほしいって思ってたんですよね、心のどこかで。でも婚約破棄を経験したことでその気持ちをゼロにして、自分の力で生きていこうっていう思いに転換しました。

――実際に会社作ってみて大変だったのはどんなことですか?

基本的に今の私はすっごく根アカなのであまり悩んだりしないんですよ。でも女性経営者ならではの周りからの圧はありましたね。女性だからという理由で馬鹿にされることもあったし、セクハラもありました。「仕事欲しいならわかってるよな?」みたいな。

――それってハラスメントだけじゃなく、実際に会社を潰そうと働きかけてきた人もいたり?

いえ、そういう人って、実際に何かできるほどの権力や勇気もない人がほとんど。相手にしなくていいんだなっていうのは、ある程度経営をやってきて感じました。「出る杭は打たれる」という言葉もあるように、圧力っていうのは自分が目立てば目立つほど感じることでもあるんですけど、気にしないで結果を出し続けるのが一番早いのかなと思います。

――そういう大変なときのモチベーションはどうやって保ってたんですか?

好奇心や、その好奇心の先で出会った人たちがいつも助けてくれました。私、やりたいと思ったことをすぐやらないと気が済まないせっかちな性分で。コロナ禍でライブやイベントが止まって、仕事が全くなくなってしまった時も、友人の水着メーカーの社長と洗って使える水着素材のマスクを作ろうっていう話になって、それで突貫で作って全国のドラッグストアで販売したらドカンと売れて窮地を脱したり。コロナ禍は相当しんどかったけど、いろんなことに好奇心があったおかげでなんとかなったのかな。

人生の転機の一つは婚約破棄、もう一つはバックパッカーをしていたきの現地の方との出会いと語る、芹澤みづきさん。

バックパッカーをしていた時の人々との出会いも転機のひとつ。「現地で出会った人たちは、ただその日を生きるということにまっすぐ。その力強さを自分も持ちたいなと思いました」

――好奇心旺盛なのは昔から?

昔から、良く言うと好奇心旺盛だし、悪く言うと飽きっぽい。今ここにあることより先のことを考えちゃうクセがあって、学生時代は大人から「目の前にあることをもっと着実に積み上げなさい」なんて言われたり、生きにくい時期もありました。でも結果的にはその個性を自分が信じて、周りもそれを潰さないでいてくれたことが、今につながってるのかなと思います。

――飽きっぽいと言いますが今の会社はもうすぐ7年目。長いですよね。

そうなんですよ。これは自分が船の船長になったからだと思います。常に自分が舵をとってるんですね、最高責任者だから。その分一緒に働いてくれるスタッフやその家族に対しての責任がある。そう思うことがいろんな意味でプレッシャーになっていて、でも私にはそのプレッシャーが心地よくもあるんだと思います。楽しいです、会社経営。

work style大切なものを守れる経営者になりたい

――芹澤さんにとって、今の働き方の礎になってるのはどんな体験でしょうか。

会社員の経験をしてよかったなと思います。一年ほどの短い期間でしたけど、ある程度大きい企業で組織の一員として働くという経験はすごく役に立ちました。やりたいことだけやっていればいいというわけじゃないというか。理不尽なことも経験したし、逆になにが起きても大丈夫になった(笑)。一回会社員やってみたほうがいいよっていうのは、若い方で起業を考えてる方にはオススメしてますね。ある意味で修行時代みたいなものを経験することができるので。

――仕事をする上でのこだわりや譲れないものは?

譲れないものは締め切り。こだわりは、目的地を決めすぎないということ。それが自分の中では大きいかもしれない。もちろん事業計画とか数字の上での目標はあります。または今年こういうことを強化したいなとか。でも大きな目的地だったり理想を描かないことが私のこだわりですね。

――理想を描かない…今後の理想や目標をお伺いしてみたかったんですけど、そういうのは特に持っていない?

理想とは違うかもしれないけど、“守りたい”という気持ちがあります。スタッフだったりそばにいてくれる人たち、大きいことを言うならば音楽家の権利、そういうものを守りたいし、守れる人間、守れる経営者になりたい。

――守れるようになるためには、どんなことが必要だと思いますか?

会社を大きくするのも影響力を持つという意味では必要なことのひとつですし、こういう取材を通して私が思っていることを知っていただくっていう活動もひとつ。それに業界全体では大きな転換の時期でもあって、CDからサブスクが主流になるっていうシステム的な変化もあれば、Z世代の方々の活躍による世代交代のような流れも出てきています。そんな中で、古くから業界をけん引されてきた方と新しい方の橋渡しになれるような年齢でもあると思うので、両者を良い形でつなげられるようになれば、守れるものも増えるのではないかなと思います。

芹澤みづきさん曰く、裏方の仕事の魅力は全体を見渡せることだそう。

最初から表方も裏方の仕事も興味があったという芹澤さん。「出役は華やかだし一番表に出てくるけど、一部なんですよね。全体を見渡せるのが裏方の仕事の魅力。どういう人にどんな企画をどうやって届けるかまでコントロールできる」

life style行先は決めない、だから迷わない

――1日の仕事の流れはどんな感じなんですか?

決まってないです。発注に波もありますし、作詞や作曲に関しては作ろうと思ってすぐにできるものじゃないので。生活の中に音楽があって、音楽は仕事でもあって、だから生活=仕事というか、すべて一緒な感じですね。それが辛いとかではなくて、喜びに近い環境です。夜はだいたい誰かと会っていますね。

――オフの日はあるんでしょうか?

頼れるメンバーが増えて、最近になってやっと自分のオフの時間をとれるようになりました。去年までは、本当に一日もなかったです。

――オフの日の過ごし方は?

とにかく寝るのと、お酒飲むことが好きなのでBARに飲みに行ったり。この間すごく幸せだなって思ったのが、ちょっといいチョコレートを買ってきて、ちょっといいいウイスキーを飲みながらハマっているアニメを観ていたとき。そんなふうに日々の喜びを拾って生きている感じです。働いて手に入れた屋根のあるお家の中で自分の好きなことをできる、今は独身だからっていうのもありますけど。なんて至福の時なんだろうって思って、酔い潰れて寝ました。最高でした(笑)。

――結婚や子どもについての願望はありますか?

考えてます。もし結婚するんだったらできれば子どももほしいですね。それに子どもを産み育ててみたいっていうのはひとりの女性としても、いちクリエイターとしても興味がある。人生の違うステージを見てみたいなっていうのはあります。

でもそんなに強い願望はないので。流れのまま。私はあんまりこだわりがなくて、自分の青写真みたいなものが本当にないんですよ。「行先は決めない、だから迷わない」っていうのを大事にしてて、そのときの自分の直感に従って自分がcomfortableにいられるような場所や仕事、人を選んで生きているので。それこそバックパッカーのマインドに近いですね。決めすぎない。

――そういうマインドって幼い頃からあったんですか?

もしかしたら最初は意図的にしていたのが身に付いたのかもしれないです。真面目な両親だったので小さい頃は「ちゃんとしなさい」って言われてましたね。勉強も比較的してましたし。ただ私も結構根が真面目なので、決め過ぎると自分で自分の首を絞めるタイプなんですよ。やらなきゃいけないと思うと、それが達成できなかったときにすごく落ち込むので、だからわざとあまり決めすぎないようにしていたのかも。

田舎で育ったんで浮いてたとは思います。東京は生きやすい環境だなって思いますね。それは海外に行ったときにもっと感じました。今って、かわいい服着なきゃいけないとか、おしゃれな場所知ってなきゃいけないとか、脅迫観念みたいなものを持ちやすくなってると思うんです。SNSの発達で総監視社会みたいになってるから。でもやがて人は死ぬし、宇宙規模で見たらほとんどのことは些細なことだから、もっとおおらかに生きてもいいんじゃないかなって思ってます。自分にも他者にも。

――なるほど…そんな芹澤さんが、日々大切にしている考え方を教えてください。

「何が大切なのか優先順位を常に考える」こと。それさえ間違えなければ大丈夫な気がします。何か悪いことや問題が起こっても客観的に見て優先順位が低いと判断したら気にしなくていい。人はどうしても悪い方に引っ張られがちだけれど、そのせいでもっと大切な良いことを見逃してしまうのはもったいないと思うんです。

――ちなみに今の芹澤さんの優先順位1位は?

一番はコトブキミュージックラボという会社とそばにいてくれる人たちを守っていくということですね。それが何より大事です。

 

バイタリティ溢れる芹澤さんにこちらもパワーをいただきました! 目的地は決めない、気にしないというマインドも力強く生きるヒントになりそうです。

 

■コトブキミュージックラボ ホームページ
https://www.kotobukimusiclab.jp

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