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work style起業のために100人のシニアにインタビューをする
――起業の前はどのようなお仕事をされていたのでしょう?
もともと起業家になりたくて、慶應義塾大学SFCという起業家を多く輩出しているキャンパスで経営を学んでいました。ただ確固たるミッションやビジョンを見つけることができず、卒業後は味の素という食品会社に就職して、サラリーマンをやっていました。そんな中、私が26歳のときに当時86歳だった祖母が体調を崩してバスの中で転倒をしてしまったんです。幸い介護の必要はなく日常生活は送れる状態だったのですが、どんどん後ろ向きになってマイナス発言が増えていき、ついに祖母から「手伝ってもらってごめんね、ちょっと長く生き過ぎちゃったかしら」と言われてしまったんです。
憧れで大好きな祖母が長く生きてしまったことを悔いているという現実に、そんなことを言わせてしまった自分に対するふがいなさや、社会への憤りが沸き上がってきました。祖母だけじゃなく、年を重ねると、「手伝ってもらってごめんね」「こんなことしてもらってごめんね」と、圧倒的に謝る機会が増えるんですよね。そういう発言を繰り返すことで自己肯定感が下がってくるシニアがいることに問題意識を覚えて、私が変えようと思い、半年後に起業しました。

起業家を志したきっかけは?「17歳の時にマザーハウスの山口絵理子さんの著書『裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記』を読んで。バングラディッシュで大変な目にあいながらも雇用で社会を変えていこうとしている姿に感動しました」
――では起業をする段階で、具体的にどんな事業にしようというイメージも見えていたのでしょうか?
それが見えていなくって。祖母以外にも祖母のような状態にある人がいるかどうかもわからなかったので、100人のシニアにインタビューするまではサービスをローンチしないと決めたんです。巣鴨や銀座など、シニアがいそうなエリアで街頭に立ち続け、初対面のシニアに声をかけて、本音を探るということを徹底してやりこみました。
――印象に残っている出会いはありますか?
67番目と74番目の方が大きな出会いで。67番目の巣鴨でお会いしたシニアの方は、「人生つらい、もう死にたいと思ったときに竹内まりやさんの『人生の扉』という歌を聞いて、また頑張ろうと思った」とおっしゃっていて、帰り道にその歌を聞いたら涙が止まらなくなりました。歳を重ねて、心身脳が衰えて言ったとしても、それをポイティブにとらえ、前向きに生きていくことが歌詞になっていました。「Age-Well」が詰まったような歌詞です。そこから勝手にブランドミュージックにしていて、会社の総会でもみんなで聞いています。
74番目の表参道でお会いしたシニアの方からは、介護や医療は専門服を着た人にやってほしいけど、その人とお出かけをしたいわけではないというインサイトを得ました。「百貨店にお出かけに行くときは、そこの青学でラグビーやってるガタイのいい男の子がいいわ」と70歳の女性に言われたんですよね。なので、お買い物やお出かけのようにワクワクするポジティブなときにお供する存在と、食事や入浴をサポートする存在をわけてもいいんじゃないかと思い、それがエイジウェルデザイナーの発想のもとになっています。