「なければ作る」で創業31年目 株式会社マザーグース会長・柴崎方恵

「なければ作る」で創業31年目 株式会社マザーグース会長・柴崎方恵

turning point経営者の祖父のそばにいて仕事の基礎が身に着いた

――起業をした当時の、反響はいかがでしたか?

最初は新聞折り込みチラシを1万部くらいまいたんですね。そのときのお客様がJALのパイロットの奥様、医者の奥様、弁護士の奥様の3人組だったんです。その方たちが「すごくいいね」と言って使ってくださって、そこから口コミで広がっていきました。それと湘南地域だったので、大磯プリンスホテルさんに営業に入ったら、先方もそういうサービスがほしかったみたいで、そこから富士屋ホテルさん、ヒルトンさん、ハイアットさんを紹介してくれて、全部紹介で繋がっていきました。

よく、「大変だったでしょう」と聞かれますが、時期によってもちろん波はありますよ。でも考えても仕方がないので、ダメだったら次に行こうという感じでここまできました。次どうしたらいいかを考えて進んでいくしかないので、特に大変だと思ったことはないですね。

――柴崎さん自身の、ビジネスの基礎を作った経験はどんな経験でしょうか。

私の母が喘息持ちで、私は幼い頃祖父母の家に預けられていたんです。そこで経営者である祖父のそばにいて、仕事のやりとりを自然に目にしていたので、いろいろなことが身に着いたということが大きいと思います。いとこは21人いるんですけど、2代目の経営者はいても、ゼロから立ち上げたのは私だけ。祖父の一番そばにいたから、その影響を受けているんだと思います。

――では転機になった出来事を挙げるとすると。

17歳のときかな。私ひとりっ子だし結構わがままに生きてきて、学生時代も「勉強ができればいいや」と思っていたので、地味で陰湿ないじめを受けていたみたいなんですね。私は全然気にしていなかったんですが、なにか隠されたりとか。そうしたら17歳の夏に“上”から「これじゃいけない」という思いが降りてきて、それからは自分から積極的にほかの生徒に声をかけて輪の中に入っていくようにしたら、周りが変わっていきました。

それで二十歳のときに高校の同窓会があったんですけど、そのときに何人かが私に「あのときはごめんなさい」と言ってきたんですよ。私は全然覚えていないというか意識していなかったので、そうなんだ、で終わったんですけど。たぶん私が変わったからそういう変化が起きたんでしょうね。

――その「上から降りてきた」っていうのは…?

変な言い方ですけど、私よく上から降りてくるんですよ。そういう体質なんで。感覚で生きてるから、あんまり考えないで言うことが一番合ってるみたいなんですよね。

――仕事のときに上から降りてきたアイディアみたいなものもありますか?

結構ありますね。わかりやすいところでは、女性の経営者を対象にした経営者クラブを作ったりとか、この間NPOを買ったので、それと合体させてシングルマザー支援や障がい者支援をしたり、貧困の子どもの食費や学費の提供をしていこうという団体を作ったりしています。

女性起業家クラブでは、助成金の勉強会や、自分たちでプロジェクトを立ち上げたりなどしているそう。30名ほど在籍。ほかに月に1回目黒雅叙園で行われる守成クラブの代表も柴崎さんが務めている。

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