株式会社Bridgeの共同創業者であり、現在同社で取締役を務める坂本理恵(さかもと りえ)さんにインタビュー! 起業するまでのエピソードから、組織に対しての思い、働く女性の課題などを伺いました。
【坂本理恵プロフィール】
年齢:39歳/職業:株式会社Bridge取締役COO/家族構成:夫・息子(1歳)
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topics誰と何をするかを自分で選びたくて起業!
――株式会社Bridgeの事業内容を教えてください。
創業から9期目となる会社で、デジタルマーケティングの事業をメインでやっております。Google、Meta、Yahoo!、TikTokなどの広告運用を行うインターネット広告代理事業と、SEOコンサルティングやSEO記事制作を主軸としたメディアグロースマーケティング事業という二つの事業を柱にしています。
――創業する前の坂本さんのご経歴は?
大学生の頃には教員を目指していて教員免許自体は取ったのですが、一般企業でも経験を積みたいと思い就職をしました。最初に入ったのはアパレル会社だったのですが周りとの温度感が合わず、もっと成長できる環境を求めて一年で転職することに。仕事は1日の大半の時間を使うので、もっと人生をかけて熱狂できる仕事がしたいと思うようになったんですね。大学の先輩がリクルートにいて、「すごく楽しいよ」「成長できるよ」という話を聞いていたので私もリクルートに転職しました。
リクルートではホットペッパービューティーで営業をしていました。3年半ほどいたのですが、当時ITのベンチャーが急成長した時期で、ベンチャー企業にすごく興味がわいたので、そこでたまたまご紹介いただいてAMoAdというサイバーエージェントとDeNAのジョイントベンチャーに転職をします。そこではマネージャーも経験したのですが、3年くらいでリクルートに出戻りをして新規事業の立ち上げを担当し、最終的にはその1年半後に起業をしました。
――起業しようと思ったきっかけを教えてください。
もともと何か成し遂げたい大義名分があったというより、起業したいという思いが先行していたんです。というのも雇用されている立場である以上は、誰と何をするかを最終的に選ぶことができないですよね。会社員として経験を積む中で、それをもどかしいと思うようになってきて、起業という選択肢が思い浮かんだというのが最初のきっかけです。
AMoAdに転職したときに、体制も整っていない中で夜中まで働いて、市場が伸びているから業績も伸びて、かつ会社にいる人も良かったので、ベンチャーってすごく楽しいなと思ったんです。その反面アドネットワークの事業は少し無機質な部分があって、社会貢献している実感をあまり感じられませんでした。この事業をずっと続けていくのかという疑問を自分の中で感じていたんです。
その点、リクルートは事業で社会にどんな貢献をしているかがわかりやすい会社なのですが、ベンチャー企業を経験してからリクルートに戻ったことで、スピード感にギャップを感じるようになって。そこで何を仕事にするかと同じくらい、誰と仕事をするかもすごく大事だなと感じ、自分の理想の組織でやりたいことをやろうと思って起業しました。ちょうど年齢も30歳だったので、ライフステージを考えると「今起業しなければいつやるのか」という思いもありましたね。
――事業の内容はどのように決めたのでしょうか?
実は最初は全然違うビジネスをやっていたんです。コロナ前で訪日外国人向けの市場が伸びてきていたので、訪日外国人にSIMカードを無料で渡して企業向けの広告でマネタイズしていくビジネスモデルを考えて資金調達も行いサービスを運営していたのですが、キャッシュが先に必要なビジネスだったこともあり、事業を続けられなくなったというのが正直なところ。うまくいかなくなりピボットせざるを得なくなってしまいました。会社員時代にデジタルマーケティングやアドテク事業をやっていたのでマーケティングや広告に強いメンバーが近くにいたこともあり、生き延びるためにスタートした事業が、結果的には大きくなって今に至ります。