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turning point「AKBだったくせに」…他人の評価が怖い
――その留学を終えてからは、どんなことを?
起業したいという気持ちはあるものの、どう起業したらいいのかもわからないし、社会人経験もなかったので、まずは学びの一つとして就職してみようと思って、2019年に広告代理店に入社して雑誌の営業をしました。
――うまくいきましたか?
もう1年間ぐらい泣きながら働いてたぐらい辛くて。資料も作れないし、パソコンも触れないし、名刺の渡し方もわからなければ電話の取り方もわからない。でも周りを見れば、同年代の子たちがそれを普通にやってて、比べちゃってどんどん自信がなくなっちゃって。
その頃は営業先で「AKBの子だよね」って気付かれるのがすごく嫌だったんです。AKBだったくせに仕事できないって人から評価されるのがすごく怖くて。でもある時に「せっかくAKBっていう素晴らしいグループにいたんだから、そこで経験してきたことをもっと営業のトークにすればいいのに、なんで隠してるの?」って言われて。確かにそれってAKBに対しても失礼だし、自分の成長を狭めてるだけだよなと思ってからは、気付いてもらえたときにAKBのネタをワンクッション入れて、商談の場を温めることができて、それがちょっとずつ自信になっていきました。
――たしかに、「元AKB」って最強の営業トークになりそう。
営業の仕事は2年間やったんですけど、仕事を通してもっと自分らしく生きていいんだっていうのを感じることができましたね。アイドルって握手会とかでファンの人との対話が多いから、コミュニケーションスキルが身に着いてる子が多いんじゃないかと思うんです。広報や営業のような専門スキルを身に着けたら、もっと世界に羽ばたけるんじゃないかと思う。会社を立ち上げたのも、そういう分野で活躍できる人材を輩出していけば、アイドルの子たちに次のステップを知ってもらうきっかけになるし、アイドルで培ったスキルを別の分野でも活かしてみようってプラスに考えていけるようになったら、芸能界自体もセカンドキャリアについて考えていってくれるようになるんじゃないかなっていう思いもあります。
――なんとなく起業したいなって思い描いてから、だんだんひとつひとつハッキリしていったんですね。
そうですね。後輩から「島田さんみたいに一般の会社で安定した生活がしたいんですけど、どう就職したらいいかわからないんです」って相談を受けたときに、この子はたまたま私と繋がってたから相談ができたけど、相談できる相手がいない人たちも多いだろうと気付いて。そういう人たちの窓口になれたらいいなと思って、今は元AKBグループの子たちだけじゃなくて、他のグループの子たちからもお問い合わせをもらったりして、オンラインや対面でお話させてもらっています。駆け込み寺じゃないですけど、経験者だからこそ相談できるっていうところはあると思うので。そういう存在の会社でありたいなっていう。
――実際に支援プログラムを受けた方は今どうされてるんですか?
2022年度では7人ほど輩出してるんですけども、みんな就職して働いてます。IT系の上場企業や、SNS運用で企業に入ってる子もいて、いろんな道で活躍してますね。いまだに連絡は取ってるので、悩みを聞いたり切磋琢磨しながらやっています。
work sytleAKBでも芸能人でもない私を見てくれる友達
――今の島田さんは後輩たちから相談される立場だと思うんですけど、島田さん自身がこれまで相談したりロールモデルにしてきた人はいますか?
私の周りの友達ですね。良い会社に勤めてお給料も良くてバリバリ働いてたのに、いきなり会社辞めて世界一周に行くような友達がいて。「なんで?」って聞いたら、「人生一度きりやからさ」みたいな。そういうのかっこいいなと思って。そうやって自分がやりたいことをして生きている友達が周りに多くて、後悔するより行動したほうがいいなって感じました。
AKBを辞めるって決心したときも、バラエティーで頑張ればいいのにって引き止められたこともあったんですけど、外の世界を見てみたいって思わせてくれた周りの友達には本当に感謝してます。正直、芸能界辞めてから連絡取れなくなった人もいっぱいいるんですよ。それはやっぱり悲しかったんですけど、AKBでも芸能人でもない島田晴香個人として私のことを見てくれてた友達が周りにいたからこそ、そのときに辞めるっていう決断ができて、それが自分にとって転機になってると思うんです。
――では、今の自分の基礎になってる経験ってありますか?
私は高校2年生までスポーツ一本でやってきたって言ってもいいぐらい、スポーツ大好きで。その中でも小学生の頃からずっと続いてるのがテニスだったんですけど、やっぱり中学、高校のときの練習のキツさですね。毎日朝練行って夜も8時とかに帰ってきてっていう生活をずっとしてきた、THE 体育会系で育ってるので、根性だけは誰にも負けないっていうのはAKBの頃からずっと言ってました。
――ちょっと話が逸れますが、そんなにテニスに一生懸命だったのに、なぜAKBに入ったんですか?
高校2年生のときにちょっと挫折を味わってしまって、テニスをやりたくなくなっちゃった時期があって。たまたまそのときにテレビでAKBのオーディションの募集をしてて、言い方は悪いんですけど、これに受かったらテニスしなくていいのかなっていうノリでした。そこからトントン拍子に受かってしまって、受かったら受かったでチャンレンジしてみたいっていう気持ちになっていって。
ただその部活でキャプテンをやらせていただいてたんですけど、研究生になったら部活の練習にも行けないし、ホームページに顔写真も載っちゃうし。学校にも顧問の先生にも事情を説明してサポートしてもらいながら、無事に高校も卒業できたし、個人戦は最後までやらせてもらうことができました。
――挫折したのに最後まで続けたんですね。
続けましたね。悔しくて。AKBに入ってからは周りからキャプテンなのにって言われることも多くて、揉めることもあったんですけど。でもちゃんとキレイにテニス部みんなで引退ができたので、よかったなって感じです。