突然のがん宣告…自分のためから社会のためへ 社会起業家・沖中洋子

突然のがん宣告…自分のためから社会のためへ 社会起業家・沖中洋子

経営者としてPR事業に携わる傍ら、社会貢献活動にも精力的に取り組む、沖中洋子(おきなか ようこ)さん。がん宣告、ミセスジャパンへの出場という大きな転機を経験した今、当時を振り返ってのお話をお伺いしました。

【沖中洋子プロフィール】
年齢:非公表/職業:経営者・モデル/家族構成:夫、犬
instagram @yoko.okinaka

 

topicsミセスジャパングランプリをきっかけに会社を設立

――沖中さんのお仕事は経営者とモデル。変わった組み合わせですね。

もともとモデルやインフルエンサーをずっとやってきて、その流れを汲んで会社でもPR系の事業をしているという感じですね。

――これまではどんな職歴をたどってこられたのでしょう?

大学卒業してからは銀行に4年半勤めてたんですけれども、フランスで仕事をする経験がしたいなと思って、辞めて渡仏しました。大学生のときにフランス留学をしていまして。それでヨーロッパのホテルチェーンで1年間働いて、日本に帰国し外資系の会社に勤めて。

――そのときはまだ会社員なんですね。

そうですね。ただ仕事を続けていく中で、今後結婚して子供産んでってなると、この仕事をし続けていくのは難しいんじゃないかと思って。そのときに趣味でポーセラーツという食器の絵付けにすごいハマってしまって、最初はそれで起業しました。ポーセラーツのレッスンをしたり、自分で作品を作って販売したりですね。起業といっても当時は個人事業主でやっていたので、大学時代に少しやっていたモデルの仕事も並行して再開してっていう感じで。

ポーセラーツは今はもうやってないんですか?「まだやってるんですが、レッスンはこれまで来られていた方か直接のお知り合いだけに限定して、仕事量のバランスをとっています」

――今は会社を設立されているとのことですが、設立に至ったのはどんな経緯が?

2018年頃にミセスジャパンという大会に出たんですけれども、全国からたくさんのミセスたちが集まってくる中で、コンテストに出ること自体周りに理解を得られなかったりする方もいて。そういうことを目の当たりにして、日本での女性の地位の低さを感じたんですね。一方で、私自身はそのコンテストでグランプリをいただいたんですけど、その後の活躍の道が用意されているわけではなく、自分で模索していかないといけないような状態でした。なので、自分自身がそういった女性の活躍をサポートしていって、女性が社会で活躍できるようになれば女性の地位も上がるんじゃないかと思って、会社を設立することにしました。

――今の会社ではどのような事業を行っているのですか?

企業の広報戦略だったり、商品を作る際の商品企画や市場調査などのマーケティング、キャスティングを行っています。

 

turning point突然のがん宣告で価値観が転換

――沖中さんにとって転機になった出来事というと、そのミセスジャパンに出場したことでしょうか?

でも、一番の転機っていうのは、実はその大会に出る前にがん宣告されたことですね。まだ初期だったんですけれども、急に健康診断で見つかって。自覚症状もなかったので、すごくびっくりしました。そのときに「人っていつ死ぬかわからないな」って実感して、それまで会いたい人と会うのを後回しにしたりとか、やりたいことを躊躇してやらなかったっていうことがすごく多かったなと思って。なので宣告されてからの1年は、とにかく自分のやりたいことを悔いのないようにやることにしたんです。

その後、幸いがんも寛解したので、自分自身のやりたいことはもうやったので、今度は社会のためになることができないかなって思って。がん宣告されたことは公表してなかったんですが、ミセスジャパンで自身の経験を公表することによって、同じような境遇にある方とか、困難に当たってる方の勇気や希望になればいいなと思って、コンテストで皆さんの前でスピーチして公表することに決めました。

――そのときはどんな反応でした?

やっぱり皆さんびっくりされてましたね。がんになるには珍しい年齢でしたし。それに、コンテストってそういうマイナスなことをスピーチで言うのがよくないという風潮があったので。でも勇気を出して公表したら、いろんな方からお声掛けいただいたり共感していただいたりして。その結果がグランプリにつながったのかなっていうふうに思ってます。

「モデルの仕事はしているものの、身長が低いのでコンテストに出るなんて考えたことがなく、人前でのスピーチも苦手。でもちょうどいいチャレンジになるかなと出場を決めました」(by沖中さん)

自分が病気をしてから、本当に「生かされてるな」っていうふうに思っているので、世の中のためにできることをしたり、誰かに喜んでいただけたりすると、それがすごく自分の喜びになる。本業の会社とは別に社会貢献活動として、国際協力の事業にも携わっているんですが、ボランティアなので利益が出るというわけではないのですが、代え難い経験だと感じてますね。

――ボランティアはどんな活動を?

例えば去年ですと、マニラと共同で小学生から高校生までの子供たちに、自分たちの国や地域にどんな問題があるかを考えてもらって、どんなアプローチをすれば解決できるかっていう、SDGsに関わるスピーチコンテストを開いたりですとか。時差があったり、仕事とは別で時間をとってやらないといけなかったりするので、忙しいときは夜中の3時4時くらいまで仕事をしていることもあります。

――今後の目標があれば教えてください。

海外でも事業を展開することですね。フランス語と英語と日本語っていう3カ国語が使えるんですけれども、社会貢献活動をしている中で、自分自身が日本のためにも海外のためにも一番役に立てるのが、それぞれの橋渡しをする仕事なのかなと思っていて。これまで国内でしかお仕事はやってなかったんですけど、今全世界に繋がりが増えてきたので、そのネットワークを生かして海外展開を行っていこうと思います。

 

life style何でも恐れずにチャレンジする

――沖中さんにとっての下積み時代はどんな時期ですか?

個人事業主時代ですかね。最初はポーセラーツの教室だけでは収入が安定することが難しかったので、合間にやっていたのがモデルやインフルエンサー。そこで自分自身をブランディングして売り込んでいかないといけないということを感じて、いろいろ試行錯誤して考えて。

――ブランディングで気を付けていることはありますか。

誰がどこで見てるかわからないので、いつ誰に見られても相手を不快にさせないように、どんな写真を使うかとかSNSへの言葉一つにも気を遣います。あとは自分自身でもコンテストを主催してファイナリストを育てるっていう経験をしたんですけれども、コンテストも自分の見せ方っていうのがすごく大事で。例えばすごく真面目なことを言っているのに、露出の激しいドレスを着てると説得力がないじゃないですか。なので、自分をどういうふうに見せたいのかっていうのは、すごく考えてますね。

趣味はありますか?「バレエと乗馬とゴルフ。最近はあまりできてないですけどカーレースも。モデルの女子だけのチームを組んで、サーキット場で走ってます」

――最後に、日々大切にしている考え方を教えてください。

ずっとモットーにしてるのは、「No challenge,no success」っていう言葉で、チャレンジしなければ成功もないっていう言葉ですね。何でも興味を持って失敗を恐れずやってみようっていう。失敗をしてもそこから何か学び取れば、それはプラスなので。

――これはいつ頃からモットーにしてるんですか?

結構昔からなんですけど…でも何も恐れずにチャレンジできるようになったのは、やっぱりがんになったからですかね。人の人生って限られていると思うので。病気で亡くなる方もいれば、突然事故で亡くなる場合もあると思うので、そのときそのときを大切に、自分の気持ちに素直に行動するのが大事なのかなって思います。

 

実際にお会いすると小柄ながらも、品のある強さを感じる沖中さんでした!

■沖中さんの会社はこちら
合同会社Beauty Queens
https://beautyqueens.jp/

 

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