元同僚とチョコレート起業。 40歳の起業で始まった第二の人生!株式会社angeles 共同代表 平井理央

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turning pointテレビ局退社を決めたのはオリンピックだった!?
ー起業前に話は戻るのですが、会社員からフリーランスに転向する時、不安はなかったのでしょうか?
すごくありました。会社を辞めたら自分には何も残らないんじゃないか、ということは何度も考えました。働き方改革前夜のテレビ局は本当にハードで、睡眠時間1時間で翌日現場なんてことも。メイクを落とすか寝るかの二択で、メイクしたまま寝て、そのまま次の日、そのメイクのまま1日過ごすこともありました。お肌にも体にもよくないことをたくさんしていましたね。
ーそれが当時は普通だったんですか?
そうですね。オリンピックの中継では、仮眠を取る場所もなくて。更衣室って言って仕切ってもらってた物置みたいなところで、ござの上に寝る、みたいな(笑)一見きらびやかに見えても、「いつでもきちんとしていなきゃいけない」「常に見られている」という意識も必要なので、精神的にもタフじゃないと続けられない。ある程度、鈍感にならなきゃいけない部分もあったと思います。
「20代の局アナ時代、体はとても正直で、1か月に1週間は必ず口内炎に悩まされていました。困ったなと思いながら食生活も整えられないし、寝る時間もなかなか確保できない。若さで乗り切っていた部分は大きかったと思います(笑)」
ー「アナウンサー30歳定年説」はそういう体力的な意味も含んでいるんですね。
私自身、30歳で「区切ろう」という気持ちは特になかったのですが、体が悲鳴を上げてるという感覚は少しずつありました。会社に残りながら、もう少しゆっくり働くこともできたかもしれません。でも、周りがみんながフル回転の中で自分だけゆっくりというのが性格的にできなくて。ここにいるなら全力フルスイングでやりたい。そう思ってしまうので、自分を止めるためには、一度辞めるしか道がないのではないかと思い、退職を決意しました。
ー「もうやめようかな、もういいかな」みたいな、満足したタイミングだったのでしょうか?
私は入社2年目からスポーツ番組を担当していて、冬季含めて3回オリンピックを経験して、2回現地に行かせてもらいました。オリンピックは、選手の人生がかかった大舞台。2年に1度、私自身も人生について考えるタイミングになっていたんです。人生をかけて戦っている選手たちを間近で見て、笑顔も涙も、その人の人生の縮図みたいな頂点の瞬間を目の当たりにすると、「私は今、人生のどの段階にいるんだろう」「これから何を目指したいんだろう」と考えるようになったんです。
2012年のロンドンオリンピックの時に、自分自身の局アナとしての集大成のような気持ちで臨み、この後、会社を退職しました。2012年9月に退社したんですけど、ロンドンオリンピックが終わったのが2012年8月なので、まさにオリンピックと共にアナウンサー人生を駆け抜けたような感覚ですね(笑)もしオリンピックが2013年だったら、きっと2013年に辞めていたと思います。







