娘が30歳になったときに女性が諦めなくていい社会へ…ギフトになる事業を作る 株式会社ハハカラ代表・片田櫻子

娘が30歳になったときに女性が諦めなくていい社会へ…ギフトになる事業を作る 株式会社ハハカラ代表・片田櫻子

turning point「パートナーの都合で教育が活かせない…」女性が諦める必要のない社会を作る

――片田さんのこれまでの経歴について教えてください。

大学時代から「海外で働きたい」という思いが強く、グローバルに事業展開をしている重工業のメーカーに就職しました。ただ大きな組織だったため、実際に入社してみるとなかなか海外で働けるチャンスは得られず、「30歳までに海外に出たい」という自分の計画には間に合わないと気付いて、3年目でスタートアップ企業に転職しました。二社目の企業は、インドネシアの市場開拓をするタイミングでジョインしたので、すぐに海外に行けることになりました。そこから1年半、現地で法人の立ち上げをしたり、カスタマーサクセスに取り組んでいました。

「大学時代に旅行や留学をしながら、『現地の人の生活を変える仕事をしたい』と思うようになり、一社目はインフラ系のメーカー、二社目では現地の人の働き方を変えるようなサービスの立ち上げに携わりました」

――1年半インドネシアで過ごしたあとは、どのようなことをされていましたか?

インドネシアの事業が撤退することになり、それとともに会社を辞めたのですが、現地にいる1年半の間でインドネシア語がコミュニケーションをとるのに問題がないレベルまでしゃべれるようになっていたんですね。なので日本に戻って、インドネシアからの技能実習生の言葉や生活のサポートをする仕事をしていました。

ちょうどその頃に妊娠・出産したのですが、復職してから「女性だから」「ママだから」という理由で、突発的に子どものお迎えに行かなければいけないことが増えたんです。でもパートナーはフルタイムでずっと仕事をし続けていて、そこに違和感を覚えました。自分も仕事をしていて、同じように職場の同僚がいて、プロジェクトを抱えているのに、夫との不平等感を感じたんです。

――それがハハカラの事業の原点になっているんですね。

そうですね。それと、女の子を産んだということも影響しています。娘に知育や将来のための教育に投資をしても、大人になってパートナーの都合で自分の仕事をセーブしなければならなかったり、専業主婦にならなければいけないことがあり得る日本で育ってしまうと、それまで受けた教育が活かせないのではないかと感じました。ならば、娘が30歳になるまでに、女性が活躍できる社会の土壌や、家事育児が女性のものではない価値観、働く時間がないからといって諦める必要がない社会を作らなければと思い、起業をしました。なので、娘たちへのギフトになると思って、今事業に取り組んでいます。

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