全財産120円から、一人で8億稼ぐ経営者へ…合同会社AMM代表・田中絢望 39歳からの成り上がりストーリー

全財産120円から、一人で8億稼ぐ経営者へ…合同会社AMM代表・田中絢望 39歳からの成り上がりストーリー

history会社員として年間100億円の売上を作るも…

――そこから紆余曲折を経て、転職し、美容機器メーカーに勤務時代には通販事業を立ち上げて年間100億円という売上を作っていたと伺いました。

表では華々しく見えても、裏は借金を返すのに大変で。何か特別なことをしないと借金を返せないと思ったので、飲食店の経営を始めたのが2回目の起業です。ただ始めて1週間くらいで東日本大震災があって、お客さんも来ないし、家賃で借金ばかりがまた増えていくので辞めて。こんな感じで私の人生はぐちゃぐちゃだったんです。

――3回目の起業、つまり今の事業を始めたのはいつ頃?

39歳のとき。その頃ブライダルの会社に勤務していて、会社員なのに毎日朝の3時4時まで働いていたんですよ。買い物依存症になったときと同じように、自分には価値がなくて、たくさん働くことでしか価値を提供できないと思っていたから、そういう環境に身を置いてしまっていたんです。でもこんな働き方を60歳までできるかって考えたら、無理ですよね。会社員で居続ける限りこの状況が続くから、辞めた方がいいと思ったんです。

当時の田中さんは家賃86,000円28平米のワンルームに一人暮らし。「親が39歳のときにこんな生活をしていただろうかと考えると、自分が惨めに思えてきた。妹は大企業に入って結婚して子どももいて家もあって。自分だけなんでこんなに過酷な環境にいるんだろうと」

そもそも、勉強もしてきて努力もしてきたはずなのに、私の人生がこんなにちゃんとしてないのはなぜだろうと考えたんです。それで、自分では稼げないと思っているから稼げる男を捕まえようとしたり、そういう責任逃れをするところが根本的に間違っていると気付いたんですよね。だから自分で自分の人生に責任を取らなければいけないと思って、3回目の起業をするしかないと。結婚してる場合じゃないと思ったんですよね。

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