元外資系金融女子でシングルマザーとして娘を育てながら、経営者としても奮闘している河村真木子さん&河村真弓さん姉妹。インスタグラムでは何万人ものフォロワーを抱え、華やかな暮らしぶりが投稿されることも少なくないこの姉妹は、いったい何者なのか? なぜこんなにキラキラしているのか? 一緒に住んでいるという都内のご自宅にて、シャンパン片手にお二人のこれまでについて語っていただきました。
【河村真木子(写真左)プロフィール】
かわむら・まきこ
姉/46歳/オンラインサロン経営/独身・娘(18歳)
instagram @makikokawamura(Makiko Kawamura / バリキャリ金融女子)
【河村真弓(写真右)プロフィール】
かわむら・まゆみ
妹/42歳/ジュエリーサロン経営(@lk_salon_private)/独身・娘(14歳)
instagram @mayumikawamura_(無添加まゆみ)
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topics外資系金融女子からインスタの世界へ
――それぞれインスタで名乗っている肩書きがあるじゃないですか。どういう経緯でその名前になったんですか?
河村真木子(以下、真木子) インスタグラムの世界で目立とうと思ったら、ちょっと面白い名前つけないと目立てないよね、みたいなことで。その頃のインスタには「バリキャリ金融女子」っていなかったからその名前を付けました。それで「あなたも名前つけなよ」みたいな感じになったんだよね。
河村真弓(以下、真弓) 私はダイヤモンドと、添加物を一切使わない朝食と娘のお弁当、それをずっとインスタにアップしていたので、そこから「無添加まゆみ」ってとりました。
――名乗ってからどのくらい経つんですか?
真弓 無添加は3年くらい経つのかな。
真木子 バリキャリ金融女子は5年くらい。インスタを始めた最初からその名前にしたので。
――それを名乗る前は、自分にとって何か肩書きになるようなものってあったんでしょうか。
真弓 でも外資系金融女子って感じだったよね。外銀女子。
真木子 辞めたばっかだったもんね。私たちはキャリアとしては外資系金融女子だったの、二人とも。
真弓 私は10年。姉は、20年?
真木子 20年。
――姉妹そろってどうして金融に?
真弓 私は姉が外資金融で活躍する姿を見ていたので、外銀(=外資系投資銀行)だけ受けましたね。姉は私から見ると、アメリカの大学出て、その当時誰もが憧れる企業に就職したという印象。
真木子 外銀かコンサルの二択が主流でしたね、当時の海外では。
――そうなんですか?
真木子 カリフォルニアとかニューヨークとかアメリカ自体がそうなんですけど、お金をもらえるということがすごく大切で。「自分の対価=お金」「自分の価値=お金」っていうところで育ったって感じなんですよね。日本の人たちって、本当に自分がやりたいことはなんだろうとか、美容が好きだから美容業界行きますとかあるけど、アメリカにいると何よりもまず、お金が稼げるかどうかというところに重点を置く人が多いです。だから良い大学出た子たちは投資銀行のようなお金を稼げるところを狙う人が多くて。
真弓 私の場合は実際周りのみんなも目指すところは同じだったし、大学も何を学ぶのかが大事である以上に有名大学である必要があるという考えもあった。
――そもそもなぜアメリカに? ご出身は?
真木子 奈良県です。父親が商社マンだったんであちこち転勤したんですよ。日本と海外いろんなところに住みました。
――一番長く住んでいたのは?
真木子 長くいたのはシンガポールと、カリフォルニアが長かったかな、成人する前は。東京は大人になってから。大学卒業してから初めて住んだんですよ。真弓はシンガポールが一番長いんじゃない?
真弓 小学校と高校がシンガポールです。そのあとアメリカ。ロス、サンフランシスコ、東京という流れです。
work style活躍できるようになったのは30代(真木子)
――それで金融の道へ。真木子さんはそのあと34歳でゴールドマン・サックスの最高役職に昇進されてますよね。
真木子 29のときに離婚して、そこからちゃんと働き始めたって感じです。ここで稼がないでいつ稼ぐんだろうみたいな感じで思ってたから。
真弓 離婚してから「おりゃー」って仕事始めた感じだもんね、ここから集中するぞみたいな。
――逆に離婚する前まではどんな感じで働いてたんですか?
真木子 20代で子供産んでたんですよ。だからそんなに働いてなくて。結婚して妊娠して子育てであたふたしてて、30代からですね、活躍できるようになったのは。
真弓 私が言うのもあれだけど、大変だったよね。あの時代に女の人で、いわゆる総合職みたいなフロントオフィスで働いてて、しかも海外から来た人で。最初は結構いじめられたりしてたよね。
真木子 もう当たり前だった。
真弓 お弁当買いに行かされたりとか。私もありましたそういう時期、思い出すだけでもゾッとしますけど(笑)。
――当時の現場は男性のほうが多い?
真弓 バリバリ。
真木子 バリバリ男性しかいない中で、その中でなんとかサバイバルしないといけないからね。
真弓 女性らしくあることも求められ、でもやりすぎたらそれはそれでだめ、みたいなとんでもない無理ゲー。
真木子 無理ゲーを綱渡りみたいな感じで渡ってました。女として許されるときもあったり、逆に厳しくされるときもあったりとか、とにかく難しいゲームでした。
真弓 対等ではない。20代はそうだね。
真木子 本当に。男性の世界に一人いて、難しすぎました。
真弓 その人たちを立てて、「すごーい」ってやって自分が上にいければいいんだけど。
真木子 いけないんだよね。
真弓 だからちゃんと“私もあなたと立場や可能性は一緒ですよ”っていうのをアピールしつつやらなきゃいけなかったんだよね。
――聞いてても大変そうなんですが…どうやって乗り切ったんですか?
真木子 たまにマウントとりつつ、下手にも出ながら。でもね、そういう意味では、20代はすごい悪戦苦闘していて、そこまで結果も出せなかった。けど、29歳のときにゴールドマンに入ってからは上司が女性だったんですよ。なのでそれをやる必要がなくなった。一気に仕事だけにフォーカスできるようになったんです。
――なるほど、その時期に仕事も生活もしがらみから解放されて、全速力で動けるようになった。そのあと起業に至るには何かきっかけが?
真木子 外資系の金融機関っていうのは、40歳までしか働けないっていう暗黙のルールがあるんですよ。
真弓 憧れるのがアーリーリタイア。
真木子 アーリーリタイアできればいいし、そうじゃなかったらアウトという風潮もあります。業界ではアップorアウトと呼ばれていて、40歳以上でそこにいるっていうのは、常に新しい金融商品やアイディアについていかなきゃならないという意味でもなかなか難しいチャレンジになります。
真弓 スポーツ選手に似てるってよく言われるんだけど。金融の場合、一番稼ぐ時期が大体30歳から40歳の間なんですよね。
真木子 社長とかになる人は別だけどね。だから私も30代の後半になったときに、辞める準備しなきゃ、辞めたあとに何しようかなって考えたんです。そのときにちょうどSNSに出会って。インスタでフォロワーが多くいるっていうのは、影響力の象徴。だから自分がゴールドマン辞める頃にはフォロワーをたくさん抱えて、本当に良いものを創ってみんなと共有できる状況にしたいなって思って、そのあたりからインスタグラムでの活動を始めました。
――それで先ほどの「バリキャリ金融女子」を名乗るところにつながるわけですね。
真木子 そうですね。とはいえ最初はただの一般人だったんで、コラム書いたり人とちょっと違うことをやって見てもらうっていうことをやりました。