身に着ける人の心を守るランジェリー 創業11年目「ナオランジェリー」川嶋菜緒の物作りへの思い

身に着ける人の心を守るランジェリー 創業11年目「ナオランジェリー」川嶋菜緒の物作りへの思い

turning point業界に人脈がないと気付いて唖然

――その後ブランド立ち上げまでの道のりは?

コンサル会社を28歳で辞めて、その次はイタリアにワンシーズンだけランジェリーデザインの留学をしました。それで帰ってきて29歳から1年以上かけて、生地に使うレースを探したり工場を回ったりして、30歳でブランドをスタートさせました。

――ブランドをスタートして、一番不安だったことはどんなことですか?

人脈がない、業界に知り合いがいないということ。毎年パリで国際ランジェリー展という展示会があるんですけど、創業当時にワクワクしながらそこに行ったら、「こんなに大手の会社がひしめく中で私は一体何をしようとしてるんだろう」と唖然としてしまったんです。大きな会場の中で、誰のことも知らないし、日本から来た一人の女の子がぽつんと立って、誰と闘おうとしてるのかと思って怖くなってしまいました。

そのあと本当は見に行きたいミュージカルもあったんですけど、全部キャンセルしてホテルにこもって、泣きながら私は何をしたいのかを書き出していきました。どうしたらいいかわからないけど、それでもやりたいという気持ちが湧き上がってきた。何があってもやるということを決意した瞬間でしたね。

――その後人脈は実際どのように増やしていきましたか?

すごくラッキーだったのですが、その国際ランジェリー展で感じた思いを書いたブログを読んでくれたレースメーカーの営業さんがいたんです。その人が連絡をくれて工場を紹介してくれました。あとはネットで縫製工場を探して一軒一軒地道に連絡したりもして。私が有名人だったら違ったかもしれませんが、誰も知らない一般人の私を相手にしてくれるところはほとんどないので、最初はすごく大変でしたね。今でもSNSは苦手であまり発信できていないのですが、地道にやるべきことをやっていると、たまにメディアさんがフォーカスしてくれて知ってもらって広がっていきました。

下着業界は大手メーカー以外の参入障壁が高いそうですが…「当時自分でブランドを立ち上げる人は珍しかったので、伊勢丹さんや高島屋さんでポップアップを組んでもらったり、そのうち『7RULES』『ガイアの夜明け』といったテレビ番組でも取り上げてくださいました」

――転機になった出来事をひとつ挙げるとしたら、どんな出来事でしょうか?

コンサル時代にすごくお世話になっていた、あるファッションアパレルブランドの社長さんがいたんです。その方は誰からも愛される素敵な方だったんですけど、60歳で定年退職をして、「これから本当に自分がやりたかった仕事をするんだ」とおっしゃっていて。そうしたらある日電話がかかってきて、その人が亡くなったことを知りました。やっと好きなことができるタイミングになって、その準備をしかかったところで命を落としてしまったんですね。そのときに、やりたいことがあるんだったら今やらないといけないということを実感しました。同じ時期、仕事をブレークスルーした瞬間も重なり、全て一致して「よし次行くぞ」となったのは大きな転機でしたね。

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