愛こそすべて 世界に一人の鰹節伝道師・永松真依

愛こそすべて 世界に一人の鰹節伝道師・永松真依

鰹節伝道師は、鰹節の味だけではなく文化や歴史背景もひっくるめて、鰹節という食文化を未来に伝えていく仕事。永松真依さんは、ビブグルマンにも選出される名店「かつお食堂」の店主で、味はもちろん鰹節の文化にフォーカスして料理を提供する鰹節伝道師でもあります。彼女が世界に一人だけの「職業:鰹節伝道師」になるまでの道のりをインタビューしました。

【永松真依プロフィール】
35歳/職業:鰹節伝道師、かつお食堂店主/家族構成:独身
instagram @katsuoshokudo(かつお食堂)

beginning85歳のおばあちゃんが削る姿を見て「かっこいい」

――職業「鰹節伝道師」。どうしてこういう職業になったのか、これまでの経緯を教えてください。

大学に入って自由な時間が増えた中で、「私のやりたいことってなんだろう」ってもんもんとしていたんですよ。高校まで陸上をずっとやっていた分、その糸が切れてしまって。そのまま一度も就活せずに大学を卒業することになって、派遣の仕事をしながら夜遊びで気を紛らわせていました。

鰹のブルーで全身のコーディネートをする永松真依さん。

テーマカラーである鰹のブルーで全身統一。靴下も鰹柄でした!

25歳くらいまではそういう生活が続いたので親も黙ってられなくなって、母親のすすめで旅行がてら福岡のおばあちゃんの家に行くことになったんです。そのときにおばあちゃんが戸棚から削り器を取り出して、いきなり鰹節を削り出して「亡くなったおじいちゃんがおばあちゃんと結婚したときにくれたんだよ」って。削った香りとか味わいも良かったんですけど、何よりもおばあちゃんが削る姿が同じ女性としてめちゃくちゃかっこよくて。85歳のおばあちゃんがしわしわな手で一生懸命削る姿に、女性としての芯を感じてかっこいいなって感銘を受けました。
東京に帰ってきて私も削ってみたいと思って削り器を送ってもらって、築地に鰹節を買いに行って、そこから鰹節削り生活が始まるんですけど。

――鰹節削り生活…!?

次にどうやって鰹節って作られているんだろうって疑問がわいてきた。ネットで調べたら静岡県の西伊豆で作っているっていう情報をゲットしたので、次の休日に行きました。

――それって最初に鰹節と出会ってからどのくらい経ってるんですか?

1か月半とか2カ月くらいですね。

――じゃあ結構熱いうちに。

私、ワクワクした気持ちが出てくると今すぐやりたくなって行動が早いんですよ。

turning point会社を辞めて24時間鰹節生活

西伊豆に行って職人さんに鰹節を作る工程を説明してもらった時に、「全国各地で鰹節作ってるのでいろんな地域の鰹節見てみるといいですよ」ってすすめられて、3年半くらいかけて南は宮古島から北は気仙沼まで、鰹節にまつわる地域を自分で旅するようになりました。

――その間仕事はどうしてたんですか?

最初は派遣を続けながら休日を利用して。仕事終わって夜行バスで行って、帰りは夜の一番遅い便で帰ってくるっていう暮らし。そのうち派遣をやめて鰹節屋さんでバイトを始めてずっと鰹節のことを考えていました。

――一体何に突き動かされてたんでしょう?

気になることを自分の目で確かめに行きたいんです。鰹節の作り方なら本を読めば書いてあるんですけど、魚という自然のものを扱っているので、実際には本とは違うことも起きる。そういう現場で起きていることを知りたいし、そこで自分が何を感じるかを大事にしたいんです。

――話を伺っていると、どこの鰹節が一番おいしいとかっていうことより、どんな人が作ってるかとか、そういうところに興味があるんですね。

そうですね。誰がどんな気持ちで作ってくれているのかとか、なぜその地域で鰹が釣られるようになったのかとか、そういう成り立ちや文化や歴史背景に興味がありますね。最初の頃から写真を撮らせてもらったりお話をレコーダーで録らせてもらったりして、何にするという予定もなく聞き直して自分の中で好きをアップデートしていくということをしていました。

インタビュー当日、鰹のピアスを着用している永松真依さん。

ピアスも鰹! ちなみに鰹以外の魚も好きなんですか?「不思議なんですけど、まったく興味がない。港にいっても鰹があがってなければすぐ帰るし、あがってくればずっと張り付いていたり」

――でも、永松さんの変化にまわりの人は驚いたのでは?

そうですね(笑)。Facebookで鰹節のことをあげ始めたら、夜遊び時代を知ってる友達は「どうしたの!?」って。でもそれから「ライブハウスでも削ってよ」って誘いをもらうようになって、イベントで焼きおにぎりに鰹節かけて出してみたりとか、卵かけご飯出してみたりとか。そのときに「これは鹿児島の鰹節で~」とかっていうことを自然と話すようになっていました。

――だから鰹節「伝道師」なんですね。

そんな矢先に渋谷のWOMBで鰹節を削らせてもらうことになったんです。印象付けたいと思って、さらしに鰹の帽子つけて、スケボーの真ん中くり抜いて削り器をはめて、ポップな音楽かけて踊りながら削ったんですよ。みんなが「すごいね~」って言ってくれている中、お姉さんに「鰹節がもったいなかった」って言われたんです。削った鰹節が下に落ちていて、「本当に好きなんだったらその鰹節をどうにかしようっていうところまで考えるんじゃない?」って。

確かに思い返してみると、夜遊びしていた私が日本の伝統食品を好きになったものの、鰹節を伝えたいよりも自分を伝えたいほうにシフトしちゃってる気がして。そこから自問自答が始まりました。

――立ち直れたきっかけは?

その年の末に実家に帰って年越しそばを作ったんです。鰹節を削って出汁をとって。そうしたら、好き嫌いの激しい姉が出汁を飲み干しておかわりをしてくれて、それがすごくうれしくて。家族が「鰹節っていいね」って喜んでくれた姿に私も喜びを感じたんですね。気付いたら食べることよりも、何か新しいことやろうとか、誰もやってなかった世界を築きたいとか、そういうことばっかり考えてたなって。

work style旅をして感じたことを話しながら鰹節を削り話題に

――そこから1年も経たずにかつお食堂がオープン。

「かつおちゃん(永松さんの愛称)の鰹節どこで買えるの?」って聞かれることが増えてWEBショップも開いたんですけど、やっぱり顔が見えないし伝わらないことも多いのでリアルな場所がほしいなって考えていたんです。それで2017年の秋に知り合いのお姉さんがバーを開くからって、オープンのお祝いに行ったときにそういう話をしたら、「朝昼使ってないからうち使う?」って言ってくれて。それで11月1日にオープンなんで、半月で準備して始まったのがかつお食堂です。

――なるほど、急ピッチ。

チャレンジしたいっていう気持ちが強かったので。まだ鰹節屋さんで働いていたので、休みの日を利用して働くみたいな感じで、週2とかで始めたんですよ。だから1週間まるまる動いてましたね。

インタビューに笑顔で答える永松真依さん。

鰹節伝道師としてはかつお食堂のほかにも、保育園での鰹節削り体験や、大人向けに食育のワークショップ、講演に呼ばれることも。

――そこから今のようにかつお食堂一本になったのはいつのタイミングなんですか?

鰹節屋さんを辞めて独立したのが2019年の8月。かつお食堂に関しては場所ができたのが嬉しくて、お客さんに鰹節の話をわーっとしてたら、オープンして早い段階でWEBサイトや雑誌に載せてもらったりテレビで取り上げてもらうことができて。それでだんだんお客さんが増えてきて営業日も週4くらいに増やしたんですけど、オペレーションがいろいろ難しくなってきたので、お店も間借りじゃなく新しく探して移転をしました。

――「鰹節でいける!」っていう勝算はどのあたりから見えていたんでしょうか?

鰹節を削って仕事にしてる人なんていないんで、それを仕事にしたいとかは全く思ってなかったです。かつお食堂をオープンしてからも、旅をして感じたことをお店で「こういう経験したんですよ」って話しながら削って提供するっていうのは、自分では全然狙ったりしていなくて。伝えたいとか興奮が抑えきれずに話していたら、いつしか鰹の話が聞けるお店っていうふうに認識されました。

turning point鰹節文化を未来につなげるための店作り

――かつお食堂をオープンしてから印象に残っている出来事はありますか?

間借りから移転して独立して、自分がリスクを背負うっていう状況になったときに、一日の売上をめちゃくちゃ気にしてしまったんです。鰹節を伝えるために始めたのに、毎日その日をなんとかすることに精一杯で。一緒に働いてくれる人にも強く当たって辞めちゃったりもしたり。お店を持ったのは間違いだったのかもって一度辞めようと思いました。でも、そうしたらコロナ禍だったんですよ。だからほっとした部分も正直あって。

――コロナ禍が転機。

そのときに気持ちが楽になったので、「今日は鰹のように元気になれるお弁当やります」とか自分らしい表現方法を探してみたり、鰹や鰹節のことで自分が魅力に感じている部分を丁寧に少しずつ考え直すきっかけになりました。
実際に、コロナ前の時期ってお客さん減ったんですよ。雑になっちゃったり、お米がうまく炊けてなかったりとか、とにかく毎日たくさん来てくれるお客さんをこなすことが大変で。鰹節の話をする余裕もなくて。その中でお客さんの意見とか見たりして、変えていけるところは変えていかなきゃなって、小さなところから直していってアップデートしていきました。

渋谷でかつお食堂を営む理由を語る永松真依さん。

「渋谷というのは文化が交流する街で、若い人にも鰹や鰹節っていう伝統文化を発信できる場所。この場所でかつお食堂をやり続けたいという強い気持ちも生まれています」

――今のかつお食堂は、満足度でいったらどのくらいですか?

私の目的としてブレてないのは、鰹節を手削りする文化を暮らしの中に届けたいっていうこと。でも普段の営業で気づいたんですけど、お店でふわふわに削るためには背景にすごく大変なことがあるんです。道具の管理や調整も必要だし、そういうことを暮らしの中でやるのは難しい。それにお店のほうは今私がメインでやっている状況で、もし病気になったりして鰹節を削れなくなったら未来につながっていかないなって思って。
それで去年くらいから一緒に働いてくれてる人達にも鰹節削ってもらってみたりしています。これからは私以外の人も削ったり、お客さんもお店で削れたりとか、そういう流れを作ろうと思っていて。その途中の段階だから、60点くらいかな。

※3月より新体制として、「かつお仲間が削る鰹節おむすびの日」がスタート。営業スケジュールは公式インスタグラムをチェック♪

――これからもっと伸ばしていきたいという思いもこめて。

ある漁師さんに、「トップの人の最大の仕事は後継者作り」って言われて。そのファーストステップとしてまずは私以外の人が削るっていうことを始めています。そうすることによって自分ももっと動けるようになるので、鰹節伝道師としてお店の外でも伝えていきたい。吸収して持ち帰るのも大事な仕事の一つなんで、探求も続けて。

life style仕事も人もそこに愛があるかどうか

――永松さんにとって、働く上での基礎になっている経験は、どんなことですか?

陸上をやっていた経験です。私、人のご縁はすごく大事にしているんですよ。最近本を出したので、これまで10年間にお世話になった人たちにはなるべく自分の足で渡しに行くようにしたりして。陸上部時代に培った、挨拶するとか礼儀とか基本的なところですが、そのおかげでチャンスをもらえることが多かったのかなって思います。

――何か一生懸命になれるものを見つけたいと思ってる人に対してアドバイスするなら。

結果を早く求めない。例えば鰹節で考えると、鰹節を削ってご飯の上に乗せるまでに、魚の鰹が海の中をサバイバルして大きくなって、漁師さんが命がけで釣って、鰹節職人さんが鰹に命を吹き込んで鰹節を作っていくという物語がそこにはあって。さらに道具も職人さんが命を吹き込んで作って。削る人も道具や鰹節のことを知っていないと削れなかったり。

カメラに向かって笑顔でほほ笑む永松真依さん。

やりたいことが見つからず夜遊びばかりしていた20代の前半。「苦しかったです。華道も茶道もフラメンコもポールダンスも料理も習いにいったけど、どれも違うなって。アルバイトも12個くらいしたけどどれも長続きしなかった」

今ってすぐに結果を出したいとか、いくら儲かるとかが先行することが多いかと思うんですけど、鰹節も長い年月かけてこの香りとおいしさが出来上がっている。だから今すぐは無理でも続けていくことで出てくる答えがあると思うんです。すぐに諦めるんじゃなくて、まずは3年頑張ってみるとか。結果をすぐに求めないっていうのは大事だと思ってます。

――永松さんは、結婚したとしても今みたいな鰹伝道師の仕事は続ける予定ですか?

もちろんです。自分の一部なんで。もう辞める辞めないとかの発想は全くなくて、死ぬまで一生やるって感じです。だから、私がおばあちゃんになって死ぬ間際の鰹節削りってどういう削りになっているのかがすごく楽しみ。あんまり「何歳だから〇〇ができない」っていうことを思ってなくて。自分がやりたいと思ったらできるかなって。

――最後に日々大切にしている考え方を教えてください。

心にあるのが、「愛がすべて」。愛のある人と一緒にいようとか、お仕事させてもらうときにも、愛がないなって思ったらやらないとか。鰹節生産者さんも愛のある鰹節を作ってる人や、愛情のある人の鰹節を大事にしたいなとか。そういうことは最初から自分が選んでやってきていて、今後もそれは変わらないと思います。何かを選択していくときに、そこに愛があるかないか。自分も愛をもって人に接してあげられているか。それが全てかな。

 

鰹節への愛があふれて止まらない永松さん。間借り時代の2年半は朝4時過ぎの始発に乗り、材料をスーツケースに詰め込んで神奈川から通っていたんだとか。体力と精神がすごい! 旅で出た吸収したアイディアがこれからどんなふうに形になっていくか、目が離せません♪

■店舗情報

かつお食堂
東京都渋谷区鶯谷町7-12 GranDuo渋谷 B1F
https://www.instagram.com/katsuoshokudo/

 

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