起業して1年目でコロナ禍、新米経営者奮闘記 株式会社ネッコス代表・井口美寿々

起業して1年目でコロナ禍、新米経営者奮闘記 株式会社ネッコス代表・井口美寿々

turning point起業1年でコロナ禍に見舞われ事業を大幅転換

――そのコロナの時期をどう乗り切ったんですか?

とりあえずいろいろな経営者に会いました。そうしたら「サンクコストを捨てろ」と言われたので、そのときにもう通販事業はやめようと決めましたね。とはいえ経費はかかり続けるので、急いで売上を作る方法を考えなければならず、失敗している暇もないから、素材をそのまま売るのが正攻法だろうと思ったんです。例えば、「ジャガイモと人参と玉ねぎがあるからカレーを作ろう」じゃなくて、ジャガイモはジャガイモ、人参は人参のまま売るというような。ネッコスはエンジニアの子が多かったので、一旦開発会社として舵を切ることにしました。

なにより、起業してすぐだったので、これで諦めたら普通すぎるなとも思っていました。「ほら、うまくいかなかったね」と思われたくなかった。ここが勝負だと思って銀行から2,000万円借りて、大きな方向転換だったので会社のメンバーも半分くらい辞めてしまいましたが、残ったメンバーと一緒に事業を考え始めました。このお金がなくなったら経営は諦めるつもりで必死に取り組みました。

――決断力と行動力がある。

AIに自分のことを聞くんですけど、たしかにそう返ってくる(笑)。でもたしかに、小さい頃からそうだったかもしれないですね。子どもの頃ソフトボールをやりたくて、でも近所に女子のチームがなくて。父に相談したら「9人集めてきたらコーチやってあげる」と言われて、一週間後にはクラス全員の女子を集めてきたということもありました。昔から、やると決めたら困難をハードルとも思わないところがあるみたいです。

「粗削りでも進んでいくことは得意。ただ私が細かいことを取りこぼすので、周りのメンバーにそれを拾ってついてきてもらっています」

――転機になった出来事をひとつ挙げるとしたら、どんな出来事でしょうか?

過労で倒れたときですかね。そのときに生き方が変わったというか…人の役に立たなければあまり意味がないなと思いました。

――でも倒れるほど働いていたんですよね?

そうですね、ただ自分がやりたいからやっていたという部分が大きかったんですよね。周りの先生たちの成果や社長の気持ちまで気にしていなかったので、惜しまれて辞めたわけではなかったんです。給料も休んだ分天引きされたし、感謝もされないで引き止められもしなかった。世の中に何の爪痕も残さずに、ただ他の人と同じ条件で頑張ることもできず、感謝もされず、何だったんだろうと思いました。「辞めないでほしい」とか「君がいて助かった」と言われる生き方をしないと社会では通用しないことを知りました。

なので、そのあとの職業訓練校では、周りの人が困っていたら助ける、興味を持つということを決めていました。その次の職場で事業部長になれた理由も、人が困ってるところにちゃんと私が入ったからだと思います。できるかできないかは後回しで、得にならなくても率先してやりますという姿勢が評価されたのだと思います。

――そういったところは井口さんのお仕事ルールでもあるわけですね。

そうですね。あとは目的思考。意味のあることをするということも心掛けています。

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