ビジネスを通していのちに寄り添う 株式会社With Midwife CEO・助産師 岸畑聖月

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turning point14歳で婦人科系の病気に…起業を志す

――この「The CARE」はいつ頃から始まったサービスなのでしょうか。

2019年に創業して、最初は「顧問助産師」という肩書きで企業で働く方のサポートをしていました。それが利用者様が増えてきて「The CARE」というサービス名になり、コミュニケーションツールのアプリケーションの開発も始めて今に至ります。

サービスを始めてから1年ほどで日経新聞の一面に取り上げていただく機会があり、その影響で企業さんからお話をいただくことが増えました。ちょうどフェムテックも流行り始めた時期で、「助産師が会社にいる」ということがキャッチフレーズ的にもよかったのかもしれません。

――起業をしようと思ったきっかけは?

もともと今の事業の原体験になっているのは14歳のときのことです。婦人科系の病気をして将来妊娠出産ができないと言われ、最初は病気を医療で治す産婦人科医に憧れていました。ところが退院してすぐに、自宅の目の前でネグレクト(育児放棄)を発見。女性は出産を経てみんな母親になるものだと思っていたのに、そうではなく、養育者にも支援が必要だと気付きました。それを実現するには医療よりももっと手前の段階での支援が重要なのではないかと考え、助産師という仕事に本格的に興味を持ち始めました。

ところがいざ助産師になろうと調べてみると、働く場所が行政や病院の中でしかなくて、ネグレクトのようなケースをサポートするための手法が少ないと感じたんです。だったら新しい形を作ろうと思って、どうしたらいいのかと考え始めたのが14歳ごろでした。

――そんなに早く。

その頃はとにかく助産師の資格を取ろうという気持ちが強かったんですけれど、大学生くらいのときに小雪さんが産後ケアを受けに韓国に行ったというのがニュースになって、産後ケア事業をやればもっと救われる人が増えるんじゃないかということも考えたりしていました。具体的に助産師×ビジネスで何かできることはないかと考え始めたのは大学院くらいからですね。

「将来絶対に事業をすると思い、実は在学期間中にウェディング系の事業も一度立ち上げていて。そちらは今も共同経営者の方が続けてくれています。ビジネスはものすごく興味深い仕組みだと思いました」

その後、関西で一番大きな病院に就職したのですが、中絶や虐待や産後うつでの自殺などといった、勉強で習っていたことが目の前で起こるんです。最初は、10年は臨床経験を積んで一人前の助産師になってから事業を興して人助けをしようと思っていたのですが、こうしている間に「何人の命を救えるだろう」と思うと居ても立ってもいられなくなって、助産師4年目で起業しました。

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