徳島県から広める!「障害児が生まれても絶望しない社会へ」 株式会社ハビリテ代表・太田恵理子

徳島県から広める!「障害児が生まれても絶望しない社会へ」 株式会社ハビリテ代表・太田恵理子

turning pointSNSの発信に支えられ、次は自分が支える側に

――転機になった出来事をひとつ挙げるとしたら、どんな出来事でしょうか。

息子の病気が発覚したことです。わかったのが妊娠22週と5日だったんですよね。その頃は月に一回検診をするくらいで、先月も何も言われなかったから今月も何もないだろうと思っていたら、エコーをしていた先生の手がパタッと止まって「すぐに紹介状を書くから大学病院に行ってください」と言われました。脳がなく頭の部分が真っ黒になっている息子の画像を見せられて、本当に目の前が真っ暗になり、先生の言葉も耳に入ってこなくて、涙が止まらなくなって。そのまま診察室の外に出たら、幸せそうな夫婦が私の泣いている姿を見てギョッとしていて、その光景は今でも鮮明に覚えています。

6月1日からは訪問看護もスタート。NICU(新生児集中治療室)を卒業したばかりの不安な時期から利用でき、お子さまの発達段階に応じてリハビリや保育園へと繋がる切れ目のない支援を可能に。

――そこからどうやって前を向いたのでしょうか。

最初はネットで水頭症という病気について調べたのですが、ネガティブな言葉ばかりが書いてあるので、見るたびに絶望していました。でもたまたまインスタグラムで「#水頭症」と検索してみたら、同じ病気を宣告されても元気に生きている子たちと、その家族に出会うことができたんです。夢中でその人たちにDMを送って、やり取りしていく中で少しずつ心が癒えていって前向きに考えられるようになりました。

そして息子が生まれたら、今度は私が息子の病状を発信するようになったんですね。すると私がDMをもらう側になったんです。発信を見て「希望を持てました」とか「二人は私にとって希望の光です」と言ってくれるのがすごくうれしくて。絶望的な気持ちに希望の光を届けられる存在でありたいと思って、経営理念の「おやこを照らす光に」という言葉が生まれました。

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