徳島県から広める!「障害児が生まれても絶望しない社会へ」 株式会社ハビリテ代表・太田恵理子

徳島県から広める!「障害児が生まれても絶望しない社会へ」 株式会社ハビリテ代表・太田恵理子

work style営業職から福祉業界へ…1週間で150万円集まった熱意の伝え方とは

――起業する前の太田さんの経歴を教えてください。

以前はホシザキという厨房機器メーカーで営業職をしていました。2017年に息子が生まれたのですが、息子は水頭症という病気をもっていたので、頭からお腹まで管が入っていて、頭には磁石を近づけてはいけないというような制約があるんですね。そのため、復職しようと思い保育園を探したのですが、6つくらい回ってもどこも受け入れてもらえず、仕事を辞めざるを得なくなりました。自分が意図しないところでキャリアを断たれたという感覚がどうしてもぬぐえなくて、同じ思いをする人を一人でもなくしたいという思いが、起業の原点です。

――メーカーの営業とは全く異なる領域での起業で、わからないことも多かったのでは。どのように進めていったのですか?

まずは起業塾に入って、起業したいと考えている人たちとのつながりを作ることから始めました。また、ビジネスコンペに出て想いや考えを伝えました。すると、少しずつ応援してくれる人が増えていったので、クラウドファンディングに挑戦して資金を集めることにしました。

クラウドファンディングを成功させるためには、一人でも多くの人に私の想いを直接伝えることが必要だと考え、「100組撮影プロジェクト」を思い付いたんです。私は息子が生まれたときにベビーフォトを撮りたかったのですが、病気のために頭が他の子の2倍くらい長かったので、とても他人に見せられないと思ってしまい、撮れなかったことを後悔していました。だから同じような状況の人に安心してもらって撮影したいと思ったのと、将来事業所を作ったときに子どもたちの笑顔を残したいので、カメラの練習も兼ねられると思いまして。

――クラファンは成功しましたか?

100組撮影プロジェクトをやりながら、会った人に「こういう事業所を作りたい」と語っていったのですが、すると今度はその人たちが私の活動を自分の言葉でSNSに発信してくれるようになったんです。なので、クラファンがスタートしたと同時に一気に88件もシェアされて、1週間で目標にしていた150万円が集まりました。ここまでが創業を決意してから半年間。創業準備と写真撮影でスケジュールを真っ黒にしながら走り抜けましたね。

未経験の領域での起業、勉強も大変だったのでは?「保育士の資格も取りましたし、最初の2年は現場もフルで入っていました。でも性格的に抜け漏れが激しいので、管理者には向いておらず(笑)、今は現場に任せています」

――当時は定員10名の施設だったそうですが、どのように規模が大きくなったのでしょうか?

施設を作って3か月くらいで月商250万円くらいまで伸びたのですが、そうなると現場が追い付かなくなってしまって、広いところに移転しようと考えました。もともとの施設があったところは、2店舗目として重度の障害があるお子さんや医療的ケア児のサポートをする事業所を作りました。そうなると、次は創業のきっかけになった保育園を作りたいなと思ったんですね。

当初は土地と建物を借りて、5,000万円くらいの借り入れで想定していたのですが、保育園の認可をとるには、土地も建物も自前で持っていないといけないことがわかり、一気に2億2,000万円が必要になってしまったんです。当時が創業2年半で年商も6,000万円くらい。未知の新規事業に挑戦するために、売上の4倍にあたる借り入れをするかどうかという決断に迫られました。

――なかなか勇気がいりますね…。

本当に怖かったです。でもそのときふと、認可保育園にするなら定款も書き足さなければいけないなと思い改めて会社の定款を見たら、最初から「保育園の経営」を項目に入れていたんですよね。そのときに、創業前の自分にバシッと背中を叩かれた気持ちになって。「やろうとしていることが、もうちょっと頑張ったらできるやんか。何を怖気づいとるんや」と自分に言われたような気になりました。そこで奮起して、どうやったら2億2,000万円借りられるかに頭をシフトしました。

徳島を拠点としていることのメリット・デメリットは?「少し変わったことをやったらメディアに注目してもらいやすいのが地方の強み。一方学びへのコストはデメリット。情報を取りに行くには東京や都市に行かなければならないので、交通費宿泊費はネックです」

――実際の行動としては、どんなことをしたのでしょう?

事業計画書をいろんな人に添削してもらいました。何十回と添削してもらうことで、最初は穴だらけだった事業計画書がどんどん良くなって、それに伴って「いけるかな?」が「いけるかも」に変わり、「貸してくれないほうがおかしい」というマインドになっていって。ただ、結果的に徳島県の地銀は全滅でした。でもやると決めていたので県外の銀行にも行って、そうしたら「やらないほうがリスク」とOKをくださったんです。その後もこれまでなんとか赤字を出さず、6期連続で増収、黒字状態で来ていて、今期は売上2億を目標にしています。

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